母が進路を応援 競技マージャンプロ・井出洋介さん
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は競技マージャンプロ・井出洋介さんだ。
――家庭マージャンでマージャンを覚えられたとか。
「小学校にあがる前に、父の膝の中で覚えました。自宅には親戚や会社の同僚などがよく遊びに来て楽しんでいたようです。両親には、その場に行っちゃダメとも言われず、父に『このお豆腐みたいなのは何?』などと聞きながらパイを覚えました」
「父の影響を受けたのはマージャンと野球です。家族は仲が良く、正月の三が日は家族で一日中マージャン。私にとって特別な日でした。正月の家庭マージャンは私が結婚するまで続きました。野球は高校時代までやっていました。思えば、今好きな将棋やビートルズなどすべて家族から影響を受けているんですね」
――マージャン少年を周囲はどう見ていたのでしょう。
「中学になると、友達に教え始めました。普及活動が始まるわけです。あるとき、母がPTAの会合で、ある親から『井出くんの家でうちの子が変な遊びを覚えてしまって』と言われたらしいのです。でも、井出家の中ではマージャンは悪い遊びではなかったので、母は『こんなこといわれちゃった』と打ち明けただけで『やめなさい』とは言いませんでした」
「僕も、マージャンというゲームに罪はない、といつも思っています。逆に、賭けマージャンは勝っても気分の良いものではありませんでした。面白いと思ったのは、大学2年生のときに競技マージャンに出合ってからです。とても刺激的でした。大学でマージャンばかりでも、親は文句一つ言いませんでした」
――プロになると決めたとき、ご両親の反応は。
「『現役東大生、マージャンプロに挑戦』といった新聞記事が出るなどし、正直に親に言わなければならなくなりました。母は子どもの頃から『あなたは普通の勤め人でなくてもいい。好きなことをやればいいじゃない』と言ってくれていたので、最初に母を口説きました。父は『まずは3年やってみろ』と。後で知りましたが、国立大学を卒業したのだから、国のためになる仕事をと思っていたようです。会社の上司に相談し、『勘当でもおかしくない』と言われたらしいです」
――ご両親は温かく見守ってくださったのですね。
「父は、1988年に私が日本健康麻将(マージャン)協会をつくって親子大会を始めると、その後、小学生になった私の長男とペアを組んで何年も参加してくれました。2010年に他界しましたが、93年のドキュメンタリー番組の中のインタビューで私を『誇らしい』と言ってくれたのはうれしかった。水産会社に勤めるまじめなサラリーマンの父、そして私の一番の理解者だった母が応援してくれたことは大きな励みになっています」
[日本経済新聞夕刊2016年7月5日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。