堅物の父、私を見守り続け みなみらんぼうさん
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はシンガーソングライターのみなみらんぼうさんだ。
――お父さんは地方公務員だったそうですね。
「宮城県北部の志波姫町(しわひめちょう、現・栗原市)で教師だった祖父が建てた家に住んでいました。居久根(いぐね)と呼ばれる屋敷林が植わっていてね。木登りや田んぼに張った氷の上でのスケートなど、父によく遊んでもらいました。子どものころ自然に親しんだのが、ライフワークである山歩きにつながっているのだと思います」
――大学からは東京に。
「父からは『教師になれ。給料もいいし、休みも取れるぞ』とたびたび言われました。長男だからいずれは家を継いでほしいと思っていたのでしょう。でも、レールを敷かれるのが嫌で東京の大学への進学を決めました」
「ちょうど上京のため引っ越しの荷造りをしていた日のことです。あんなに反対していた父が、へらへらと笑いながら帰ってきて『田んぼが1反10万円で売れたぞ』と言うのです。どうしてもお金が必要になったら処分しろと、祖父から受け継いだ2反の土地のことでした。最初は8万円ほどと見込んでいたのに、思いがけず高く売れたと、わざと笑って見せたのです」
「これはこたえましたね。たまらなくなって自分の部屋に逃げ込み、涙をこらえながら段ボール箱に荷物を詰めました。2反の土地が背中にのしかかったような気がしたんですね。そんなことなど上京したとたんに忘れてしまったんですが、その後、結婚したり子どもが生まれたり、折に触れて背中の重さを思い出しました」
――歌手になるのも大反対だったとか。
「『歌手になるよ』と電話をしたら、『とうとうカスになったか』と、喜んでるのか、あきれてるのかわからないような返事で。名前が売れてくると、田舎の町からコンサートに呼ばれました。その舞台に立ってみると会場のど真ん中に父が座っている。あんなにやりにくいコンサートは初めてでした。堅物で、口数少ない父でしたが、本当は心配で見守ってくれていたのだと思います」
――お母さんを早くに亡くされたそうですね。
「体の大きい母でした。相撲を取ろうとしがみつく私を投げ飛ばすような元気な人だったんですが、突然、脳出血で逝ってしまいました。中学1年生の時です」
「私の代表作に『山口さんちのツトム君』があります。モデルは誰ですかと聞かれると、いませんと答えていたんですが、あるときはたと気がつきました。あれは、中1の自分の姿だったんだと。『あそぼ』って言われても、『あとで』とさみしそうに返事をする、少し変な男の子。母を失った喪失感が、知らず知らずに歌詞に盛り込まれていたんだと、気がついたのはずっと後になってからでした」
[日本経済新聞夕刊2016年8月2日付]
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