西武百貨店から転職、「料理の鉄人」で脚光フジ・メディア・ホールディングス 金光修社長(上)

■フジ・メディア・ホールディングスの金光修社長は1983年、西武百貨店からフジテレビに転職した。

西武百貨店が元気な頃で、DC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドを集めたSEED館などの開業に携わりました。

入社から5年後に偶然、フジテレビの中途採用を知り、転職しました。

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■フジテレビ入社後、希望とは異なる部署に配属された。

希望は番組企画でしたが、イベントを担当する配属先では地方の演歌ショーなどを手掛けることに。本意ではありませんでした。

その後、オンラインで音楽イベントのチケットなどを販売する「チケットセンター」の設立に関わりました。立ち上げ業務の傍ら映画好きの同僚で集まり、映画を作ろうという話になりました。映画の企画制作を手がけるホイチョイ・プロダクション(東京・世田谷)に話を持ちかけ、有志の企画に参加し、生まれたのが87年公開の「私をスキーに連れてって」です。

かねみつ・おさむ 78年(昭53年)早大一文卒、83年フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)入社。13年常務。19年から現職。東京都出身。

当然、担当部署を無視して映画を作ろうとしているので、映画部門の担当者からは「ふざけるな」と怒られました。しかしそこはフジテレビ。「おもしろいからやってみろ」と許可が下り、大当たりしたのです。

89年に念願の編成部に異動。当時の上司から「料理番組を立ち上げろ」と言われました。しかし、当時の料理番組といえば、日本テレビ系の料理番組「キユーピー3分クッキング」やNHKの「きょうの料理」ぐらい。とっぴな要求でした。そこで名料理人と挑戦者が調理の技を競うライブ感のある番組として「料理の鉄人」を企画しました。

当初の半年は失敗続き。鉄人対5人の料理人の戦いとして、予選から決勝という流れで番組を放送していたが、流れも良くないし尺にもはまらない。視聴率も取れませんでした。

そこでゲストシェフが1人の鉄人を選んで対決する内容に変更したところ、視聴率が上向いて人気番組になりました。エミー賞にノミネートされるなど海外でも人気を博しました。

■ゴールデンタイム(午後7~10時)で視聴率を取る難しさを痛感する。

何よりもしんどかったのは、ゴールデンタイムでの視聴率争いです。深夜帯でヒット番組を生み出していましたが、ゴールデンタイムで視聴率を稼ぐには最大公約数的な評価を得ないといけない。特殊な才能がないとできません。

96年にタレントが旅行を企画する番組を手がけましたが、視聴率は13~14%でした。爆発的な人気を取った作品を生み出せていない思いはずっとありました。

あのころ……

フジテレビは1981年にバラエティー番組「オレたちひょうきん族」の放送を開始。「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに「笑っていいとも!」などの人気バラエティーを次々と世に送り出し、82年から12年連続で年間視聴率「3冠王」を達成した。

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[日本経済新聞朝刊 2019年11月19日付]

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