スカパー立ち上げ 常に時代の半歩先を行く
フジ・メディア・ホールディングス社長 金光修氏(下)
番組企画の経験を生かして、衛星放送の立ち上げに挑んだ(写真左)
当社とニューズ・コーポレーション(現・21世紀フォックス)など4社で衛星放送、「JスカイB」を立ち上げることになりました。新しいメディアを作るとあって、期待に胸を膨らませて参加しました。
放送開始へ議論が本格化しますが、各社の意見がまとまりません。フォックスはCSを自社の作品を放送する場所としてしか見ていませんでしたが、欧米の映画を流すだけでは日本人の視聴者は見てくれません。
何度も声を荒らげて意見を戦わせました。最終的には映画チャンネルを作りませんでした。
98年にジェイ・スカイ・ビーと日本デジタル放送サービスが合併。新会社のサービス名を「パーフェクト・スカイTV」にするか「スカイパーフェクTV」にするかで議論がありました。前者が優勢でしたが、「スカパー」の方が語感がよいと思い、自身は後者を推しました。
議論が膠着する中、先行して「スカパー」というタイトルの紹介番組をフジテレビで始めてしまいました。これが既成事実となり、「スカパー」の名称が決まりました。
視聴率争いにさらされない番組が作れるBS(放送衛星)放送に関心があり、編成部長というのは希望通りの人事でした。主にデータ放送のシステム構築や番組企画に携わりました。
データ放送にはコンテンツ(情報の内容)記述言語として規格化された独自の「BML」が使われていますが、複雑な技術で全くわかりません。技術に詳しいスタッフに一つ一つ、言語を理解してもらいながらサービスを構築していかなければなりませんでした。
午前4時ごろに技術的な課題が解決できたと連絡があると、すぐにタクシーで出社し、その技術をどう放送に生かすかという会議を開くこともありました。
データ放送を活用した番組を積極的に投入。双方向でのデータ放送を生かした番組「お台場カジノ・インタラクティブ」を実現しました。リアルタイムでルーレットに投票できるようにしたのです。
テレビマン人生を振り返って思うのは、常に新しいことを生み出す、発明する気概がないとコンテンツは腐るし、メディアは停滞してしまいます。当社の強みである時代の半歩先を行く、若い世代に受けるコンテンツをつくるという特色は変わらないでほしいと思っています。
あのころ……
フジテレビは1990年代に月曜9時の恋愛ドラマ「東京ラブストーリー」などが大ヒット。ホームドラマ主流の時代に、都会で生きる若者たちに焦点を当てた作品で存在感を示した。ドラマといえば「月9(月曜9時)」といわれ、トレンディードラマという言葉や話題作を生み出した。