17年ぶりカンヌ審査員 求められる国際的人材
世界の中の日本映画(中)
河瀬直美監督は審査委員長のスティーブン・スピルバーグ監督の隣に座った。開会式に先立つ審査員記者会見。「カンヌは世界に新しい指針を示し得る場所。世界にすばらしいメッセージが届くように、私たちが何を選ぶかは重要だ」。河瀬はそうアピールした。
日本人審査員は17年ぶり。だが過去には日本人も頻繁に審査員を務めた。1958年に翻訳家の朝吹登水子、60年に作家の今日出海、62、66年に元駐仏大使の古垣鉄郎、63年に映画配給の川喜多かしこ。50年代から60年代初頭の日本映画の黄金時代で、ほぼ1年おきに審査員に入っている。
しかしその後は72年に評論家の登川直樹、90年に映画配給の柴田駿、96年にデザイナーの石岡瑛子が務めただけ。コンペに日本映画が選ばれない年が増え、審査席からも姿を消した。
2000年代に入って日本映画の出品は復調。ほぼ毎年コンペに出ているが、審査員はゼロ。不思議な現象だ。代わって台頭したのが中国勢。中国、台湾、香港から計11人も選ばれた。
ものづくりは得意だが、討論や説得は苦手という国民性もあろう。語学力の低さもあるのかもしれない。しかし何より大きいのは、海外進出への積極性、国際映画祭への敬意の差なのだと気付いた。
アンディ・ラウ、チャン・ツィイー、カリーナ・ラウ、トニー・レオン……。レッドカーペットを歩く中国語圏のスターは今年も華やかだった。日本にもスターはいるが、国際映画祭の常連は見あたらない。
中国も香港も韓国も海外との合作に積極的だが、国内市場に充足する日本は意欲が薄い。俳優もテレビドラマに忙しい。
河瀬は積極的に発言した。授賞式後の記者会見では質問を受けたスピルバーグとアン・リーに割って入り、ジャ・ジャンクー監督「ア・タッチ・オブ・シン」への評価を熱く説明した。
その夜遅くに会った河瀬は「気になった作品は賞を取った。ちゃんと向き合って、話をした。楽しかった」と疲れも見せず語った。河瀬の次回作はフランスとの合作になるという。
審査員だけでなく、国際的に活躍するプロデューサーや映画祭ディレクターといった分野でも日本人の層は薄い。そんな中、希少な人材の1人が「ア・タッチ・オブ・シン」の市山尚三プロデューサーだ。脚本賞を受けて授賞式の舞台に上がったジャ監督は真っ先に市山への謝辞を述べた。
ジャと市山が初めて組んだのは00年の「プラットホーム」。中国政府の許可を得ない独立系映画で、海外で製作資金を集めるしかなかった。ホウ・シャオシェン監督の合作映画などの経験があった市山は日本やフランスなどで資金を調達。ベネチア映画祭に出品し、ジャを世界に知らしめた。以来2人は5作品で組む。
急速な開放と経済発展で、今ではジャも中国国内で十分な資金を調達できるようになった。「ア・タッチ・オブ・シン」も日中合作だが「日本側の出資はわずか」(市山)。だがジャの市山への信頼は厚く、企画段階から相談を欠かさない。
映画界でもバブル期の日本に求められたのは「金」だった。今は違う。「人」が求められているのだ。
(編集委員 古賀重樹)
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