タブーに挑む自由な精神 レフンの暴力、ケシシュの愛
カンヌ映画祭リポート2013(11)
タランティーノも、北野武も、三池崇史もぶっ飛ぶような、飛び切りのバイオレンス映画が登場した。
デンマークのニコラス・ウィンディング・レフン監督の「オンリー・ゴッド・フォーギヴズ」。ライアン・ゴズリングが寡黙な運び屋を演じた快作「ドライヴ」で一昨年の監督賞をさらったレフンが、再びゴズリングと組んだ。前作よりさらに過激、さらに純度の高いバイオレンスである。コンペ作品として22日に上映された。
ジュリアン(ゴズリング)はバンコクでボクシングクラブを経営しながら、麻薬ビジネスを手がけている。その兄がバンコクの裏社会に殺された。組織を率いる母はジュリアンに報復を指示する。そんなジュリアンの前に非情な殺し屋チャンが立ちはだかる。
ドラマは熱帯の夜の薄暗い建物の中で繰り広げられる。いわゆるフィルムノワールなのだが、この映画が際立っているのは、ほとんど暴力シーンだけでできている、ということである。
殴る、ける、切る、刺す、撃つ……。そんな具体的な暴力だけがあるのだ。追いかけるとか、逃げるとか、待ち伏せするとか、わなにはめるとか、そういう段取り的な行為は一切省かれている。
怒る、おびえる、悲しむといった感情表現も抑制されている。みな無表情で寡黙だ。極め付きはチャン。ほとんど言葉を発さず、背中から抜いた刀で、相手を一瞬に切り裂く。そのたびに、赤いランタンのともるステージにあがり、マイクを握って、カラオケを歌う。恐ろしい。
敵同士が、いきなり向き合い、殺しあう。しかも残忍に。ハリウッド映画の派手な立ち回りと違って、一撃が、一刀が、一打が痛い。そう、これがリアリズムなのだ。
朝のプレス向けの上映では、いたたまれないのか、途中で席を立つ客が続出。上映後は拍手とブーイングの両方が巻き起こった。こぢんまりとまとまった作品が多い今年のコンペにあって、その過激さは突出していた。
自由な精神で、タブーに挑み、既成概念を揺るがすというのは芸術の重要な役割だ。同じく22日にプレス向け上映されたフランスのアブドゥラティフ・ケシシュ監督「青は一番暖かい色」もそんな映画である。
幼稚園の先生アデルと若い画家エンマの愛の物語である。自分の仕事に情熱をもっている2人が、互いに引かれあい、激しく愛し合う。普通とちょっと違うのは、2人とも女であるということだけだ。
この作品はレズビアンを退廃的なものとは決して見ていない。逆に社会から不当に差別されているという視点にも立たない。いつの時代、どこの場所にもいるような、夢と希望と不安に満ちた若い2人が愛し合うさまを、みずみずしくストレートに描くのだ。
将来の夢を熱く語り、幼稚園で子どもたちと真剣に向き合うアデル。芸術に身をささげ、自由に生きるエンマ。2人は美術館で互いの愛を感じとり、情熱的に抱き合う。その長い長いベッドシーンの美しいこと! ギリシャ彫刻のように張りのある若々しい肉体が絡み合い、むさぼるように激しく求めあう。
そこには一抹の影もない。情事の翌日には性的マイノリティーのデモに喜々として参加するが、2人の晴れ晴れとした表情が物語るのは、政治的主張ではなく、高揚した解放感の方だ。仕事に恋にひたむきに向かう姿がまぶしく、一昔前のフェミニストのような肩ひじ張った感じがまるでない。無論、青春には孤独がつきもので、ささいなことから疑念が生じるのも、恋物語の必然の展開だ。
登場人物のたたずまいや会話は自然で、時にドキュメンタリーを思わせる。アデルとエンマもそこに違和感なく溶け込んでいる。ああ、恋っていいなあ、と思ってしまう。彼女たちの自由がまぶしいのである。
ケシシュ監督はチュニジア生まれのフランス人で52歳。原作はフランスの劇画だ。23日の記者会見でケシシュは「2人の女性の出会いが、彼女たちの人生をひっくり返し、彼女たち自身を発見させることに心を動かされた」と語った。
(カンヌ=編集委員 古賀重樹)
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