日常に潜む暴力 現代中国に迫るジャ・ジャンクー監督
カンヌ映画祭リポート2013(3)
世界は暴力に満ちている。民族や国家間の紛争が絶えないというだけではない。平穏な日常生活が営まれている地域でも、一皮むけば人々の破壊への衝動が渦を巻いている。経済発展やグローバル化が世界の人々にもたらすストレスが確実に高まっているからだ。コンペ作品の序盤は、そんな平穏な日常に潜む暴力を主題にした作品が相次いだ。
まずは16日にプレス向けに上映されたジャ・ジャンクー監督「ア・タッチ・オブ・シン」。暴力をテーマに激変する中国社会を描き出す意欲作だ。
映画は最近中国で実際に起きた4つの事件を題材にしている。村の共同所有だった炭鉱の利益が1人の実業家に独占されたことに憤る男が起こした山西省の事件。妻子を抱えた男が出稼ぎを装いながら拳銃を使って強盗を繰り返していた重慶の事件。愛人に去られた女が受付係をしていたサウナで、しつこく迫る客に切りつけた湖北省の事件。ナイトクラブでダンサーと恋仲になったウエーターが苦悩する広東省の事件。どれも有名な事件に基づいており、舞台は中国全土に散らばる。
冒頭のシーンから驚いた。山道をバイクで走る男がナイフを持った3人の若者に囲まれ、金を要求される。バイクの男は懐に手をやるやいなや、一瞬で拳銃を抜き、3人を撃ち殺す。西部劇さながらの早撃ちだ。開巻早々の音楽からして武侠(ぶきょう)映画そのものだ。
どの暴力シーンも迫力があるが、リアリズムというより様式美の力なのだ。あたかもドキュメンタリーのような自然さを追求してきたジャにとっては新境地ともいえる。札束で往復ビンタを浴び続ける哀れなチャオ・タオが、突然逆手にもったナイフで逆襲し、決めのポーズをとったシーンには涙が出た。
もっともずっとリアリズムで押しながら、突然現実から飛躍するような夢幻的な瞬間はこれまでのジャ作品にもあった。例えば「長江哀歌」で遠景の高層ビルが突如ロケットのように飛び立つシーン。そんな寺山修司的なシュールレアリスムもジャの資質なのだろう。
どのエピソードの主人公も急速に経済発展する中国社会にあって、時代の波に乗り遅れ、虐げられている人々だ。彼らは次々と理不尽な目に遭い、たまりにたまったうっ憤を最後に爆発させる。そんなドラマツルギーも西部劇や武侠映画を思わせる。ジャは「武侠映画というジャンルから多くの示唆を受けた」という。
経済成長に伴う貧富の格差の拡大により中国人の多くは「人格の危機に直面している」とジャ。そんな現代中国に迫るために「弱者が失われた尊厳を取り戻すために最も直接的で即効的な方法」である暴力を描いたというのだ。一見豊かな管理社会では、強者と弱者の対立は隠ぺいされ、心の内にこもる。それを視覚的に描き出すための「暴力」なのだ。
暴力シーンの様式美に対し、たとえば街頭の人々の表情や近代都市と農村とが隣り合う風景などは実にナチュラルで、変貌(へんぼう)する中国の現在をリアルにとらえている。この監督の志の高さに改めて感服した。
日常と隣り合わせの暴力を描いている点ではコンペ初日に登場したメキシコのアマト・エスカランテ監督「Heli」も興味深かった。12歳の少女が警官見習いの少年と恋に落ち、駆け落ちを図ろうとする。そのために、少女の家族が裏社会の激しい暴力にさらされてしまうという理不尽な物語だ。
暴力シーンがすさまじい。武装した男たちがいきなり少女の家に押し入り、父親を射殺し、少年と少女、少女の兄を連れ去る。ごく平穏な家庭の暮らしがほとんど何の予感もなく、一瞬で破壊されるさまが衝撃的だ。
少年たちを連れ込んだ部屋のシーンがまた強烈だ。誘拐犯の家族なのだろうか、大型テレビの前で子どもたちが任天堂のWiiで遊んでいる。その傍らで両手を縛られた少年が目を覆うような拷問にあう……。
犯罪ドラマではないし、メキシコ社会の暗部を描くのが主眼でもなかろう。ただ、どこにでもある平凡で穏やかな日常が、いかにもろく、はかないものであるかはひしひしと伝わってくる。事件のあとで主人公がその傷をどういやしていくかということも丁寧に描かれる。メキシコの特殊性でなく、世界にあまねく存在する暴力の普遍性に迫った作品だ。
「人々が暴力について考え、それが正しくないと結論付ける方法の一つとして、映画の中で暴力を扱う意味がある」。エスカランテ監督は記者会見でそう語った。
フランスのフランソワ・オゾン監督「ヤング&ビューティフル」も平穏な日常に潜むひび割れを描く点で、これらと共通する。ヒロインはごく平凡な17歳の高校生。父、母、弟の4人家族の暮らしはいたって平穏だが、彼女には性的な欲求不満が募っている。そして年齢を偽り、出会い系サイトを使った援助交際を始める……。
とりたててみだらなわけでも、金に困っているわけでもない。ただ心の空白があるだけだ。そのはけ口としてのセックス。彼女の性的衝動は暴力衝動に近い。そしてそんな空白を多くの登場人物が抱えていることがわかってくる。
人間の心の底にある悪意が平穏な日常をじわじわと脅かす。「海をみる」「焼け石に水」から「まぼろし」「スイミング・プール」までオゾン作品に一貫する主題が、新作にもあった。
(カンヌ=編集委員 古賀重樹)
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