音楽家から迫る米現代史 コーエン兄弟とソダーバーグ
カンヌ映画祭リポート2013(9)
アメリカは若い国だ。貴族文化の伝統がない。だから大衆文化を大切にする。建築、デザイン、ファッション、映画、そしてポピュラー音楽。それらが文化史の重要な位置を占める。
米国のコーエン兄弟の新作「インサイド・ルウェイン・デイビス」は、1960年代にフォークの中心地だったニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの、あるフォーク歌手の流浪の日々を描く。18日にコンペティション部門でプレス向け上映された。
61年冬の1週間だけの物語である。グリニッチビレッジで弾き語りをしているルウェイン(オスカー・アイザック)には家も、金も、寒さをしのぐコートさえない。演奏していたカフェでけんかをし、猫を抱えて、友人を頼る。友人の妻は妊娠していて、ルウェインのせいだという。中絶費用をつくらなければならず、レコード会社をまわるが、レコードはなかなか発売できない。ルウェインは猫と共にシカゴに向かう……。
さえない男のさえない話である。だらしない男のだらしない話である。何か事件が起こるわけではない。ただ、世間になじめない男が、世間からはじきだされて、転がり続ける生き方を追う。あたかもユリシーズのように。そして、男の抱える孤独と人生の手触り、さらには60年代のグリニッチビレッジの空気を描き出すのである。
「ぼくらは深夜のテレビ映画で育ったからね」「見ていたのは60年代の喜劇映画だ。ボブ・ホープやトニー・カーチス。ハリウッドの一番悪い時代だね」。92年に東京でインタビューしたとき、兄のジョエルと弟のイーサンが言っていたのを思い出した。ちなみにジョエルは54年生まれ、イーサンは57年生まれだ。
第2次大戦後の繁栄を極めた黄金のフィフティーズが去り、60年代はアメリカにとって、夢が終わった時代となった。パルムドール受賞作「バートン・フィンク」(91年)をはじめとしたコーエン兄弟の映画のシニカルな世界観はここで培われたのであろう。グリニッジ・ヴィレッジの全盛期を直接知る世代ではないが、その時代の倦怠(けんたい)感や閉塞感、主人公のいらだちがひしひしと伝わってくる。
何より驚くのは映像の美しさである。画面の隅々まで淡い色調でスキなく構成され、柔らかい光に満ちているのだ。リアリズムではなく、むしろ様式美。主人公の情けない生活とは対照的な美しさなのだ。悲惨な生活と美しい光景が重なることで、悲惨さも、美しさも、より強く印象づけられる。
フォークブームの立役者と言われるミュージシャン、デイヴ・ヴァン・ロンクの回顧録をもとに、コーエン兄弟が自由に脚色した。ジョエル・コーエンは19日の記者会見で「この映画は本当に物語がなく、筋もない。だから私たちは猫を加えた。そう、猫を中心に映画は展開する」と語った。物語はあってなきようなもので、映像と音楽がすべてを語りつくしてしまうような映画だ。コーエン兄弟の新たな到達点である。
同じ米国のスティーブン・ソダーバーグ監督の「ビハインド・ザ・キャンデラブラ」は50年代から長年にわたって活躍した米国のピアニストでエンターテイナーのリベラーチェ(1919~87年)を描く。映画が焦点を当てるのはその晩年、77年からの11年だ。21日にコンペに登場した。
派手なコスチュームと通俗的な音楽で、テレビの発展期にスターとなったリベラーチェ(マイケル・ダグラス)。70年代になっても銀ラメのキラキラした派手な衣装で、ディナーショーの客を酔わせている。
その豪邸はいかにもフェイクでしかない天井画と壁画で彩られ、金ぴかのシャンデリアや燭台(しょくだい=キャンデラブラ)がこれでもかというくらい並んでいる。男色家であるリベラーチェがこの家に連れ込むのはゲイばかり。若いスコット(マット・デイモン)もその一人だ。さっそく一緒にバスタブに入ってシャンパンを飲み、2人は恋人同士に。スコットは秘書として雇われ、共に暮らす。
肉体の老いに気づいたリベラーチェは、大がかりな整形手術で若返る。スコットにもサプリメントを食べて4週間で8キロやせるカリフォルニアダイエットと整形を強要する。ゲイカルチャーも含め、70年代末の米国西海岸の風俗や文化が生き生きと描かれている。
きらびやかなインテリアやファッションが目を刺激する。白い毛皮の下に、赤いスーツを着込み、金ラメのピアノに向かうリベラーチェ。やり過ぎと思えるほどのオーバーな描き方だが、この人の芸風と生き方がやり過ぎにあるのだから、映画は本質を突いている。
80年代に入ってリベラーチェは若い恋人に心を移し、スコットと裁判で争う。84年、苦悩するスコットがリベラーチェの本が並ぶ書店を出たとき、スタンドの新聞はロック・ハドソンのエイズによる死去を伝えていた。
第1作「セックスと嘘とビデオテープ」(89年)でいきなりパルムドールを射止め、彗星(すいせい)のごとくデビューしたソダーバーグも「オーシャンズ11」シリーズなどで、すっかりハリウッドの大物に。21日の記者会見では「しばらく休憩を取りたい」と言明した。「新作とデビュー作は直接関係がある。両作品とも自身の世界に住んでいる人の話だ」とも振り返った。
コーエン兄弟にとっての60年代が記憶の原風景であるように、63年生まれのソダーバーグにとっては70年代が原風景なのだろう。リベラーチェを直接知る世代ではないが、人物と時代のイメージを即物的にリアルに再現することに成功している。
カウンターカルチャーも、ゲイカルチャーも、いまや歴史になりつつある。その空気にギリギリで触れた世代による米国現代文化史。両作品とも目と耳で楽しめる映画である。
(カンヌ=編集委員 古賀重樹)
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