アイドル路線で売り出し 社長はハードロック嫌いバンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(5)

本人たちの意に反し、レイジーはアイドル路線を進んでいく(右から2番目が本人)
本人たちの意に反し、レイジーはアイドル路線を進んでいく(右から2番目が本人)

市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第5回では、希望を裏切られた格好になった、アイドル路線での売り出し方の裏事情を明かします。

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1977年春。7月にプロデビューを控えた井上氏らは上京し、事務所が用意した白金台の一軒家で共同生活を始めた。日中は音楽スタジオで練習し、夜は明治大学付属中野高校の定時制に通う。事務所はレイジーをアイドル路線で売り出すと決めていた。

(60年代に一世を風靡した)元グループサウンズの方々がスタッフとして参加していました。ムードがどうもおかしい。ぼくらの髪はさらに短くなっていました。「ロックをやろう」と誘ってくれたかまやつひろし(ムッシュかまやつ)さんも、最初は一緒にミーティングしていましたが、気づけば、その顔ぶれも変わっていました。

ニックネームも決められました。かつてのグループサウンズでも、ザ・タイガースならジュリーやサリーといった名前があったので「井上」ではいかがなものかとなったのでしょう。ある夜、共同生活していた合宿所の電話が鳴りました。受話器の向こうは、ホテルニュージャパンで会議をしていた事務所の大人たちでした。いきなり「『ミルキー』と『ポッキー』ならどっちがいい?」。どちらも嫌でしたが「ポッキーでお願いします」と答えて、ポッキーになりました。

ぼくが最初で、1人ずつ電話を回していきます。景山(影山ヒロノブ)君はフランス語の「ミッシェル」に決定。たっかん(高崎晃)は「スージー」と言われ「それ女性の名前じゃないですか」。ひろゆき(田中宏幸)の「ファニー」は名前でさえない。樋口(宗孝)さんは「デイビー」です。「嫌です。12月24日(クリスマス・イブ)生まれなので『イブ』にしてください」と反論しましたが、覆りませんでした。

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