正直、あのときは天龍源一郎が確立される場所であれば、そして戦えれば誰でもよかったのです。「ここは新日本のリングだけど、全日本の頃と変わっていないだろ」と見せつけたかったですね。
新日本はアントニオ猪木さんがアマチュアレスリングの系統のスマートな流れのプロレスを確立していました。でも僕は相撲時代からのぶち当たるプロレスを、その時々の感情をぶつけてハチャメチャやっていいという感覚です。新日本の若手が「天龍と戦ったらメチャクチャだね」と言っていたのをよく覚えています。
それから新日本のトップだった長州や藤波辰爾にも勝ちました。2人とも体が小さい割に強くて、天龍に無いものを持っていました。
時代が前後してしまいますが、2人に勝ったのは「天龍をうまく使えばSWSももうかったんじゃない?」という謎かけでもある気がしますね。
[日経産業新聞2018年3月27日付]
※天龍源一郎氏の「仕事人秘録セレクション」は水曜掲載です。

てんりゅう・げんいちろう 本名・嶋田源一郎。1963年、福井県の勝山市立北部中学2年のときに二所ノ関部屋入門。76年廃業し、全日本プロレス入団。90年SWS移籍、92年WAR設立、98年からフリー。2010年天龍プロジェクト設立、15年現役引退。