サイゼリヤ全焼で存続危機 再起、母の意外な言葉から
「サイゼリヤ」創業者 正垣泰彦氏(5)
サイゼリヤは新業態「スパゲッティ マリアーノ」も展開している(東京・日本橋茅場町店)
イタリア料理店「サイゼリヤ」を創業した正垣泰彦(しょうがき・やすひこ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第5回ではイタリア料理を柱に据えた理由を明かします。
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深夜営業していたので、お客さんには水商売やヤクザの関係者がいました。けんかはよくありましたが、ある日、ヤクザ同士の口論が激しくなり、ついには店のストーブを相手に投げてしまいました。ストーブが転がったはずみでカーテンに火がつき、店内に燃え広がったのです。
「みんな逃げろ」。先に従業員を入り口から避難させたあと、泊まり込みで働くための布団で消そうとしたが間に合わない。火の手が回っていない裏口から逃げ出しました。正面に向かうと、山本慈朗さんら従業員が泣き顔に。生きているか心配だったのでしょう。
「お客さんも来ないし、店をやめられるな」。全焼した店舗や八百屋を見て思いました。警察の事情聴取から解放された後、お金がなかったので東京・中野の自宅まで歩いて帰りました。ようやく着いた自宅で母親に胸の内を話しました。
母に勇気づけられ、店を再開
慰めてくれると思いきや、「良かったね。せっかく火事になったんだからもう一回やりなさい」。予想だにしない一言に驚きました。店を畳もうと落ち込むほどつらいことなのに、良かったってどういうことだろうと。母は続けます。「苦労は成長のため。火事で店がなくなるのは最高じゃない」。確かにそう言われると、不思議と納得してしまいました。
ですが、さすがに火事の原因になった店舗の再開を大家の川上さんが認めてくれるだろうか。大家さんに出向いてダメ元でお願いすることにしました。すると、「もう一回やってみなよ」と即答が返ってきました。再建した建物の2階に同じ保証金と賃料で再び入ることができたのです。
私に期待してくれたのでしょう。その恩はサイゼリヤが軌道に乗った後も忘れませんでした。上場時にお礼に株を渡そうとしたのですが、「こんな紙切れもらってもしゃあない」と言われました。「ビル1軒建つかもしれませんよ」と言って、何とか受け取ってもらいました。ほかに何か欲しい物はないか聞いて時計を贈ったのでした。