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私の課長時代

社運を懸けた薬の海外申請、戦略練り2度目で承認 第一三共社長 真鍋淳氏(上)

2017/12/17

■第一三共の真鍋淳社長(63)は1978年に旧・三共に入社。約30年間、新薬候補の安全性を調べる部署に所属した。

 米オハイオ州立大学へ留学後、病理グループ長として約20人の部下を持つことになりました。95年、課長級に当たる主任研究員に昇格しました。

 顕微鏡で試験用の検体の発がん性や毒性を調べるのが主な仕事でした。多い日はグループ全体で100匹もの検体から米粒大の臓器を切り取ることも。指にたこができました

 先輩から、研究者とはいえ「部下は提案が仕事。聞けぬ上司はその任にない」と教わりました。かつて上司に「学校の宿題みたいな実験はやめましょう」と進言したことがあり、私も上司として血気盛んな部下と同じ釜の飯を食い、実験法など膝詰めで議論する日々を送りました。

■90年代後半から社運を懸けた高血圧症薬「オルメサルタン」の海外申請を担った。

 90年代初めまで薬の海外での申請作業は外注していました。ある日、上司から「グローバル企業を目指すなら自社で手続きができないといけない。一度見に行こう」と誘われ、米食品医薬品局(FDA)との交渉を視察しました。議論は科学的な話ばかり。「社内データで対応できる」と外部委託するのをやめました。

まなべ・すなお 77年(昭52年)東大農卒。78年三共(現第一三共)入社。09年執行役員、16年副社長。17年から現職。香川県出身。

 第1号は後に主力薬となる降圧剤「オルメサルタン」でした。米国や独・仏などの規制当局を巡り、申請に向けた試験の概要を相談しました。三共の知名度は低く、担当官に「サンヨーなら知ってるよ」と言われる始末。それでも新薬候補の毒性試験などで先駆的な手法を採り、注目されるようになりました。

■2001年度に渡米した回数は計11回。ついに米で販売承認を受ける。

 承認勧告を得る審査会はまさに陪審そのものでした。当局側の疑問を論破し、複数の専門家から賛同を得ると承認が下りる仕組みです。FDAは毒性など様々な懸念を示し、追加データを求めてきました。

 そこで気づいたのは戦略の重要性です。陪審員役の専門家は専門外の領域も判断します。論点やデータの見せ方、反証材料を素人でも明確に分かるよう見直し、会議前日のリハーサルでは納得できるまで想定問答を作り込みました。その結果、2度目の審査会で認められました。科学と戦略の両輪がかみ合い良薬が生まれるのだと痛感しました。

あのころ
 日本発の生活習慣病薬が世界を席巻した。三共(現第一三共)も高脂血症薬「メバロチン」を創出。90年代後半には単剤の売上高で世界トップ5に入る成功を収めた。しかし、製剤の開発費は高騰する一方で、海外では米ファイザーなどいち早く再編が加速した。

[日本経済新聞朝刊2017年9月5日付]

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