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私の課長時代

糖尿病薬に副作用、発売中止で挫折も 第一三共社長 真鍋淳氏(下)

2017/12/24

真鍋淳社長(前列中)はおよそ30年間を薬の安全性研究部門で過ごした(2002年、静岡県袋井市)

■真鍋淳社長(63)は新薬の承認申請を効率的に進めるため、ある提案をした。

優れた技術や製品があっても、その良さが第三者に伝わらなければ意味がありません。日本の製薬会社の研究所は疾患ごとに承認に向けた戦略を立てており、蓄えた知見が共有できていませんでした。縦割りの弊害です。課長職ながら研究所長に直談判し、部門の枠を超えてノウハウを共有する会議を作りました。

人材の流動性が高い欧米では承認申請手続きなどのノウハウは個人にありますが、終身雇用型の日本企業は組織の中で知見を共有しやすい環境にあります。欧米のメガファーマに勝る強みを生かすことが会議を立ち上げた理由です。部下には自らの経験を組織内で共有するよう促し、その上で自分の力を発揮するように、と言い聞かせました。

■安全性研究の責任者として挫折も経験した。

2000年に糖尿病薬「トログリタゾン」が副作用を理由に発売中止となりました。特異的な体質でのみ副作用が発現するため、治験段階では見抜けませんでした。失敗を繰り返さぬよう、徹底した検証が必要でした。上層部に頼み込み、2年にわたり調べました。

検証の結果、ある代謝物が障害を誘発するとの仮説を導きました。その成果は代謝物によるリスクを事前に測る手法として結実し、今も使われています。

03年には米国駐在となり、米食品医薬品局(FDA)と交渉して治験開始の承認を得るための組織立ち上げを任されました。

膨大な申請書の3割は安全性に関わる事項です。現地で専門家を雇い、業務に当たりました。米国は能力勝負の世界です。得意ではない英語を駆使し、徹底した議論を通じて相手に認められ、良い関係を築きました。FDAは意義ある話は表現が拙くても耳を傾けてくれました。米国の強さの源泉を実感しました。

■帰国後、第一製薬との統合作業を進めた。

05年に安全性研究所長として帰国し、研究開発組織の統合案を練る協議に参加しました。第一製薬とは研究所同士で交流がありました。同じ単語でもイメージする物が違うなど両社の壁もありましたが、互いの得意分野を融合することで、研究の幅が広がりました

振り返ると大型薬が多く生まれ、挑戦できる環境があったことは幸運でした。その時の経験を次に引き継げるように、上司や先輩として良きお手本を示すことが大事だと考えています。

あのころ
00年代に入ると大型薬の特許切れが相次ぐようになり、国内でも大型再編が相次いだ。02年に中外製薬がスイス・ロシュ傘下に入る。05年にはアステラス製薬が誕生、三共も第一製薬との統合を決めた。海外での大型買収も動き始め、国際競争が強く意識されるようになった。

[日本経済新聞朝刊2017年9月12日付]

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