
写真を見ればお分かりいただけるだろう。ソースカツ丼であればキャベツがのる例は多いが、甲府のカツ丼はポテトサラダ、トマト、レモン、パセリなどがすべて丼に収まっている。
「奥村本店」は江戸寛文年間の創業で360年以上の歴史を持つ老舗。現在の当主、由井新二氏の曽祖父に当たる由井新兵衛氏は、老舗の暖簾を引き継ぎながら大変進歩的だったらしく、例えば薪からガスにいち早く変えるなど、新しいものを取り入れる柔軟性のある方だったそうだ。

その新兵衛氏が明治30年代前半に東京に出かけた際に食べたカツレツに感動し、メニューに取り入れようとした。当時そば屋で出すご飯ものは親子丼や天丼などで、出前も多かったことからカツライスのスタイルではなく、丼スタイルにしたのではないかとのことだ。
明治時代のカツレツといえば、トンカツの元祖としても知られる銀座・煉瓦亭のポークカツレツがまさにそのイメージだろう。

当時のメニュー表などが残っていないか聞いたところ、甲府は第二次大戦時に空襲に遭っており、持ち出せたのはこの写真のみだそうだ。

この撮影後ほどなくしてのれん分けで開業した「若奥」(現在は閉店)の店主が、カツ丼も含め「奥村本店」と同じメニューで創業したことを記憶していた。少なくとも明治30年代後半には甲府にカツ丼が存在していたということになる。
「奥村本店」のカツ丼は2種類のソースを好みで選んで自分でかけていただく。メニューにはかつ定食もあるが、なぜこのスタイルが現在まで残っているのか、素朴な疑問をぶつけてみた。

もちろんお客さんから注文があるからメニューに残っているのだが、店主自身、ソースがトンカツの油と混ざってご飯に染み込む、それが子供の頃に大好きだったとのこと。トンカツが別皿だとそのソースとご飯のハーモニーを味わえないのでカツ丼のほうが好きだったのだとか。
老舗のそば屋と時代の最先端のポークカツレツが110年以上前に出合い、和の象徴的なそば屋で洋食スタイルのご当地カツ丼となり、さらにはそれが現在も愛され定着している…。何とも夢のある話ではないだろうか。
(一般社団法人日本食文化観光推進機構 俵慎一)