もちろんストーリーが進むに従って、謎は解き明かされていきます。探偵が過去を少しずつ思い出したり、分かってくることも増えるのですが、全部が解決するわけでもない。そのうち僕は歌ったりするし、過去と現在の時空を行き来したりもして、演劇だからこそなし得る世界が展開します。ちなみに、タイトルにある「奇蹟」という漢字にも謎を解く鍵が隠されています。「奇跡」が常識を越えた思いがけない神秘的な現象や出来事を指すのに対して、「奇蹟」はより宗教的でスピリチュアルな現象のこと。辞書では「キリスト教において、超自然的な聖なる力が具体的に現れるさまを示す」と説明されています。
また、セリフの中には今のウクライナの状況をほうふつさせるものがあったりします。僕は療養中にニュースを見ながら、世界情勢を予知したような劇中の描写に、劇作家の想像力ってすごいな、と驚きました。そして、自分はどう演じて伝えればいいんだろうと、療養中はいつもより考える時間がたくさんあったので、そんなことにも思いを巡らせていました。今の世の中や社会とつながっているのも演劇ならではのメッセージ性で、『奇蹟 miracle one-way ticket』という作品の大きな魅力です。
転んでもただでは起きないのが役者の仕事
療養中には、ほかにも発見がありました。共演者の岩男海史君が僕の代役をしてくれた通し稽古をオンラインで見て、自分の役が「どう見えるか」の気づきがたくさんあったのです。役者がお芝居をするときは主観的にしか考えられなくて、それを演出家が客観的に見て、こうだよと言われるのを信じてやっています。なので自分の役を客観的に見られたのは、初めてともいえる面白い経験でした。例えば、「記憶喪失でいる様子って、ちょっとチャーミングなんだな」とか「記憶も定かではないのに事件や謎を解明しようとしているのは、純粋な探究心だろうし、大きな意味での愛情でもあるのかな。愛がある人に見えるな」とか。そんな自分の役の思ってもいなかった要素を発見して、刺激を受けました。
今回しばらく稽古を離れましたが、その間に作品の大きな骨格や輪郭がはっきり見えてきた面もあります。そう考えると、僕はやっぱりポジティブな人間なのかなと思います。コロナ感染は大変なことでしたが、その経験からも何かを得たいという思いがあるし、療養中にお芝居のことを考え続けていたことが演技に生きていたらうれしいこと。転んでもただでは起きないというか、それが役者の仕事なのだと感じています。

(日経BP/2970円・税込み)

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第112回は4月2日(土)の予定です。