「リーダーとしていろいろやらせてもらうと自信も出てきて、僕がいなくなったらチームはガタガタになるんじゃないか、なんて思っちゃうわけです。ところが実際に事情があって半年ぐらいチームを抜けざるを得なかった間、チームは問題なく回っていた。最初はがっかりしましたが、一人の力よりもチームの力を高めることの方が重要なのだということに、大学生の時点で気づけたのはラッキーでした」

「偏差値の高い大学や一流と言われるような企業では、自分自身ができることを増やして周りよりも秀でること、強くなることが善であるという価値観が支配的です。だけど僕は父からずっと『弁護士や通訳はなるものではなく、雇うものだ』と言われて育ちました。さらに大学生で自分がいなくてもチームは回ることを知ったことで、人と優秀さを競うよりも、自分は優秀な人たちを雇ってその持てる力を引き出し、彼らが喜んで働いてくれる環境を作る側に回ろうという思いを強くしました」

英治出版は、人や組織、社会のポジティブな変化につながる書籍を数多く作ってきた

コンサルで修業 家業に転じたものの4年で挫折

就活はせずに起業しようと仲間を集めて毎週事業アイデアを練った。だがインターネットもなかった時代、塾かイベント企画ぐらいしか思いつかない。やはりビジネスの現場を知らなければとアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に就職した。大規模なシステム関連プロジェクトなどに携わり経験を積んだ。給料も高く居心地はよかったが、「サラリーマンは5年やったら辞められなくなる」という父の忠告に従い、5年目に入る直前に辞職。家業の印刷会社に取締役として入った。社長だった父がその座を叔父に譲ったタイミングとも重なった。

いよいよ自分で事業のマネジメントができるチャンスだと張り切り、元コンサルらしく業務フローの改善を提案。本が売れれば印刷の需要も高まるからと細々とやっていた出版部門のテコ入れも画策した。しかし、新しいことをしようとすればするほど社長との経営ビジョンの違いが明らかになっていく。耐えきれず、4年目に辞表を出した。

「『きょう会社辞めてきたから』と同居していた父に言ったら、『え?会社ってうちの会社を?』と仰天していました。そして僕自身がびっくりしたのは、会社を辞めた途端、給料は振り込まれないという事実でした。長男は1歳半になったばかりだし、これはマズイと焦りました」

大学の同級生だった妻と急ごしらえで「有限会社 原田英治事務所」を作った。社長になるという幼い頃からの夢は、想像だにしない形で現実となった。印刷会社を辞める際に、出版予定だった海外のビジネス書籍の版権を個人で買い取っており、それだけは著者や訳者に迷惑をかけないために出そうと「英治出版」を名乗った。だがそのプロジェクトが終われば後がない。埼玉のできたばかりの無名の出版社から、本を出したいなどと考える著者がいるはずもない。大手の出版社が絶対にやらないことで差別化する以外にないーー。そう考えた原田氏の頭に浮かんだのが、絶版にしないことだった。

「当時は大手のビジネス系出版社は本が出て1年ちょっとで絶版にしていました。でもそれは著者にとっては残念な状況でしょう。であれば、実績のない小さな出版社だからこそ、著者を応援することを第一に据え、絶版にはしないことを打ち出そうと考えました。そして実際、特殊な事情があるケースを除いて、創業以来、出した本の95%は絶版にせずに今も売り続けています」

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著者を応援する姿勢がロングセラーにつながる