やっかいな騒音

「騒音公害はこれまで見過ごされてきた」と専門家は言う。2021年に学術誌「Science」に掲載されたある文献レビューによると、分析の対象となった500件の論文の90%が、過度な騒音がクジラ、アザラシ、イルカなどの海洋哺乳類や、魚と無脊椎動物の5分の4に「著しい害」を及ぼしていると結論づけているという。

「騒音への対策は緊急の課題です」と語るのは、このレビューを主導したサウジアラビア、アブドラ国王科学技術大学の海洋科学教授カルロス・ドゥアルテ氏だ。「気候変動、乱獲、プラスチック、生息地の減少には多くの注目が集まっています。しかし、海中のサウンドスケープ(音風景)がもたらす脅威には、これまで十分な注意が向けられてきませんでした」

ドゥアルテ氏のチームは、「音を発する」動物の数が減り、人工的な騒音が増えたことにより、海のサウンドスケープが変化していることに気付いた。過去50年間で、主要な航路においては、船舶による低周波騒音が32倍に増加したという。

騒音公害の影響は、シロイルカのような一般の注目度の高い種にとどまらず、「動物界全体に波及する恐れがある」と米メリーランド大学環境科学センターの研究者ベンジャミン・コルバート氏は指摘する。

「イルカやシャチといったハクジラ類は、音で物体の位置を判断するエコーロケーション(反響定位)によって狩りを行います。彼らにとって海の静けさは非常に重要です」と、コルバート氏は言う。

海の中では、音は光よりも遠くまで到達し、オキアミからエイまでさまざまな種によって利用されている。ザトウクジラは、地域的な方言を含む複雑な求愛の歌を歌う。一部のエビは「パチン」という音を立てて獲物を気絶させる。また、ガマアンコウは、求愛のために奇妙な鳴き声を出す。

必要な対策とは

先日、ウー氏と一緒に小さな調査船に乗り込んだ際、彼女は全長約55キロメートルという世界最長の海上橋「港珠澳大橋」を指さしてみせた。海底トンネルを含め1000億人民元以上(2兆円以上)をかけて造られたこの橋は、2018年に3都市を結んで開通。10年に及んだ建設は、騒音公害をまき散らし、行き交う車は今も海中に反響音を送り込んでいる。

「この橋の建設は多くの被害と混乱をもたらしました」とウー氏は言う。「しかし、まだ被害の全容が明らかになったわけではありません。今後事態は悪化するばかりです」

ただし、それは何も対策を打たなかった場合の話だ。WWFは騒音対策をいくつか提案している。たとえば、イルカの生息域での建設工事の禁止、海岸の修復、違法漁業の取り締まり、フェリーの速度制限や航行回数の削減などだ。香港世論研究所の調査によると、イルカを保護するためであれば、人々は運賃や移動時間が増加することになっても構わないと考えているという。

ほかにも解決策はある。輸送船舶の電化や、効率のよいスクリューの導入はすでに始まっている。海底への杭(くい)打ちの際に気泡を防音壁とする方法や、健康なサンゴ礁の音をスピーカーを通して流すことで、劣化したサンゴ礁に魚をおびき寄せるといったものもある。

とはいえ、実行が容易ではないことも確かだ。香港では現在、93キロメートルの海底ガスパイプライン敷設や、ランタオ島での広さ1700ヘクタールの埋め立て地造成などの開発プロジェクトが進行している。

「わたしたちの努力は、その流れに逆行しようとする行為です」。南シナ海の荒波から音響モニターを引き揚げながら、ウー氏はそう語る。「それでも、まだ時間はあります」

ドゥアルテ氏も同意見だ。「新型コロナウイルス感染症のおかげで、海洋生物の回復に関する計画外の、そして説得力のある実験を行うことができました。騒音の発生源が取り除かれれば、その効果はすぐに表れます。これ以上の被害が出る前に対策を取ることで、コストははるかに少なく済むでしょう」

(文 PETER YEUNG、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年12月14日付]