
「いいですか。よく見ていてください」。ボウルに無塩バター、グラニュー糖、塩、薄力粉を入れ、ハンドミキサーで遠藤さんは手際よく攪拌(かくはん)していく。「ここであまり練り過ぎないでください。粘りが強いとサクサク感が出ませんから」
「えーっ!?」。何人もが驚いた。やはりプロの世界とは手法が違うのだ。練り加減やオーブンでの焼き具合……。施設の職員は熱心にメモを取り、施設長がハンディーカメラを回す。約2時間の講習で、4種類のお菓子を作り上げ、参加者全員で試食した。遠藤さんの熱意とやさしさに対する感動に、コロナ禍の暗闇にポッと灯った希望。それらが混ざり合い、スタッフらの心を温かく満たし、厨房内で笑顔がはじけた。「とってもおいしい」
きっかけは、その2か月ほど前。50年以上の歴史を持つ社会福祉法人「木下財団」(東京・中央)の東光篤子さんとの出会いだった。この財団は小規模な障がい者福祉施設への助成などを行っている。コロナ禍は社会に深刻な打撃を与えているが、福祉施設もその例外ではない。地域イベントが軒並み中止に追い込まれ、お菓子作りとその販売を通じた障がい者の社会参加の機会が激減。売り上げが減ったことで障がい者に工賃すら支払えない施設も急増している。
SDGsや企業の社会貢献が今、キーワードになっているが、「善意」だけでは限界がある厳しさも一方の現実。普通のお菓子を作るのでなく、各施設が品質を市販品と遜色ないレベルに高めないと。そのためにはプロの指導を仰ぐ必要がある。そう考えた東光さんが、打診した相手が遠藤さんだった。
頑張った分だけ利益が出るように
「やりましょう」。即断した遠藤さんにも戦略があった。「やる以上はとことん品質にこだわり、この取り組みを全国へ広げていきたい」。そのためには福祉をあまり前面に出さず、ひたすら品質で勝負する。「福祉のお菓子」では色眼鏡で見られ、逆に買いたたかれてしまうケースがあることを懸念したからだ。
「原材料の仕入れ先をできるだけ共通化し、ロットを増やす。そうやって原価率を下げ、一級品に仕上げられれば、障がい者も頑張った分だけ利益が出る仕組みができるはず」。そんな冷静な分析が根底にはある。カメリア銀座の店頭に「福祉のお菓子」をうたった広告類が一切ないのは、「品質で勝負」にこだわったからに他ならない。
なぜパティシエの道を選んだのかーー。遠藤さんは横浜市出身。父親が東京・平和島の道場で剣道師範をやっていた影響で、幼稚園から中学までは「剣道少年」で、剣道3段の腕前だ。パティシエを志すきっかけは、神奈川県立の高校時代。「ある洋食店でアルバイトした際、シェフが包丁でキャベツを刻んだり、フライパンでオムレツをひっくり返す職人芸を見て、『カッコイイなあ』と」
高校卒業後は東京・町田市の調理師専門学校で、和洋などあらゆるジャンルを一通り経験。その後、イタリア料理店などで修業したり、調理師学校や製菓学校で教えたり……。自分の「現場」が欲しくなり、「フランス菓子業界のピカソ」の異名を持つピエール・エルメの門をたたいたのが一大転機となった。剣道少年の時代から負けず嫌いで、「休日にも出勤し、菓子作りを重ね、あきれられた」こともある。