
エジプトからナイル川をさかのぼった先にある国スーダン。古代、この地は農業で栄え、神々や王、貴族のために巨大な神殿や墓が建造された。今も約255のピラミッドが残っているが、これは隣国エジプトにあるピラミッドの数の約2倍に当たる。
にもかかわらず、これまでスーダンの古代遺跡を巡る旅をした人は多くない。というのも、2度の内戦(1956〜1972年と1983〜2005年)、2011年の南スーダン建国に至るまでの独立戦争、そして2021年のクーデターによって、スーダンの観光業は成長の機会をことごとく奪われてきたからだ。クーデター後の混乱が続いている今も、スーダンへの旅行は推奨されていない。
しかし、そこは魅力的な遺跡の宝庫。ソレブの巨大な神殿から世界遺産のピラミッド群まで、ナイル川をさかのぼりながらスーダンの歴史をたどる旅を紹介しよう。

ヌビアと「ブラックファラオ」
エジプト南部のアスワンあたりから、現代のスーダンの首都ハルツームにかけて広がる地域はかつてヌビアと呼ばれ、ここにアフリカ最初期の文明であるクシュ王国が誕生した。黒人のファラオが治めたこの王国は、紀元前747年にはエジプトを征服し、その後100年近くにわたって広大な領土を支配した。
ハルツームから北へ9時間車を走らせると、ソレブ神殿に到着する。スーダンで最も保存状態が良い神殿で、古代エジプト王アメンホテプ3世が建てた建造物としては最も南に位置する。かつて神殿は、プルドーライオンと呼ばれる2体のライオン像によって守られていた。像は赤い花崗岩(かこうがん)で作られ、ソレブを訪れた少年王ツタンカーメンによって碑文が刻まれた。現在、このライオン像は大英博物館に展示されている。

ソレブ神殿を訪れるには、ワワ村から船に乗ってナイル川の西岸を目指す。すると間もなく、神殿の大広間を取り巻く砂岩の柱が見えてくる。柱の足元には、後ろ手に枷(かせ)をはめられたアッシリア人が彫り込まれている。当時の王国が戦で捕らえた捕虜たちだ。
ソレブから車で数時間、ナイルを南へさかのぼると古代都市ケルマに着く。およそ5500年前、日干しレンガでできた巨大な神殿を中心に町が建設され、最盛期には1万人が暮らしていた。現在、廃虚となった神殿にすむのは、営巣するツバメだけだ。



王の墓と荘厳な壁画
ケルマからさらに小一時間ほど車で南下したところにあるオールド・ドンゴラは、長い年月をかけて少しずつ砂に埋もれつつある遺跡だ。西暦600年に要塞が築かれて以来、ヌビアの王国マクリアの首都として発展し、宮殿、民家、キリスト教の教会が建てられた。スーダン西部の町ダルフールとエジプトを結ぶ交易路の要衝でもあり、象牙や奴隷を運ぶ数千ものラクダのキャラバンが往来した。
オールド・ドンゴラで最も保存状態が良い教会は、1317年にモスクに転用され、1969年まで使われた。現在は一般開放されている。その隣には、17世紀に建てられたドーム形の墓が特徴的な、イスラム教の墓地がある。
