「永遠の命」を求めて 古代エジプト人がしていたこと

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

墓地労働者のミイラの世話をするアヌビス神を描いた第19王朝時代の壁画(IMAGE COURTESY OF DE AGOSTINI/G. DAGLI ORTI/REX/SHUTTERSTOCK)

どんな宗教も死というテーマを避けて通れないが、古代エジプト(紀元前3100年ごろ〜紀元前332年)の人々は死を軸にした信仰の体系をもっていた。神官たちは、この世の生は墓の向こうの永遠の生への序曲にすぎないと語り、人々は、現世を精いっぱい生き、来世も同じように生きることを望んでいた。

しかし、死後の世界で豊かに暮らすためには、保存された体(つまりミイラ)や十分な備蓄のある墓、死者とともに暮らす動物などを用意する必要があった。これだけの準備を整えても永遠の命は保証されず、死者は冥界に行き、神の裁きを受けなければならないとされていた。以下では、古代エジプト人が永遠の命を確保するためにどんなことをしていたか、ご紹介しよう。

コム・エル・ショカファ(アレクサンドリア)のカタコンベの入り口の両脇に立つアヌビス像。アヌビスはジャッカルの頭をもつ死者の神だ(PHOTOGRAPH BY STUART FRANKLIN)

体を保存する

死後の世界に到着するためには、体が保存されている必要がある。だから、ほとんどの人が自分の遺体を生前の状態に近いミイラにしてもらいたがった。ミイラ化の程度は、経済的な事情によってさまざまだった。貧しい人の遺体は、洗ってそのまま砂漠の砂に埋められた。乾燥を促すべく塩の中に埋められることもあった。身分の高い人の遺体は、肛門から精油を注入し、内臓を液化させて香りをつけてから塩の中に埋められた。

生前の姿に近づけるため、ラムセス2世のミイラの鼻は動物の骨で補強され、植物の種子まで詰められていた(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT/NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

新王国時代(紀元前1539年ごろ〜紀元前1075年)の富裕層や王族のミイラ作りには70日もかかり、特別な司祭によって行われた。遺体は洗浄され、清められた。血液は抜かれ、腐敗を防ぐためにほとんどの内臓が取り出され、特別な壷(つぼ)に入れられた。脳は鼻の穴からかぎ状の器具で引き抜かれ、捨てられた。心臓だけはそのまま体内に残された。古代エジプト人たちは、心臓は全人格の中心であると信じていたからだ。

処理が終わった遺体にはナトロン(干上がった湖底で見つかる天然の炭酸ナトリウム)を詰め、台の上に置いて乾燥させた。遺体の乾燥が進み、しぼんできたら、布切れを詰めて膨らませた。そして義眼を入れ、口紅などの化粧を施して、より生前に近い姿に仕上げた。乾燥が終わると、司祭たちは再び遺体を洗い、油と樹脂で覆って、数百メートルの長さの麻布を巻いた。最後にミイラは箱詰めされ、家族に返されて、墓に納められた。

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