季節の移ろい語る舞妓の花簪
祇園町(京都市) 古きを歩けば特別編・装い重ねて(1)
京都の5花街(祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園東)は習わしを大切にする街だ。特に装いには気を使い、小物類も季節や場所に沿ったものを選ぶ。舞妓(まいこ)の黒髪を飾る花簪(はなかんざし)もその1つ。季節を表す花の飾りを使う趣向がこの呼び名につながったと思われるが、舞妓は1年12カ月に各月の意匠の花簪を用いる。
■師走の意匠は「まねき」
師走の意匠は「顔見世興行」にちなんで「まねき」。南座に掲げられた歌舞伎俳優の名前を記す看板と同様、庵形(いおりがた、家屋の形)をしている。この「まねき」の意匠が、餅花(もちばな=枝にいくつも付けた餅)や竹矢来(たけやらい=格子に組んだ竹)を模した意匠などとともに飾りつけられている。
祇園甲部の舞妓、千紗子さんの花簪には「まねき」が2枚掛かり、それぞれに藤十郎と仁左衛門の名がある。「顔見世興行に出演中の南座の楽屋を訪ね、名前を入れてもらいました」と千紗子さん。毎年、その年の出演俳優に記してもらうのがならわしで、「筆が入る前の白い『まねき』を付けていると『今年は誰にお願いするの』とお座敷でお客さんから聞かれます」と千紗子さんは話す。
■花簪の始まりは江戸期か
師走以外についても代表的な意匠を紹介しておこう。1月は松竹梅、2月は梅、3月は菜の花、4月は桜、5月は藤、6月は柳、7月は団扇(うちわ)、8月はススキ、9月は桔梗(ききょう)、10月が菊、11月が紅葉。さらに1月の松の内の期間は、1月の飾りとともに稲穂とその年の干支(えと)を付けた簪を着ける。7月の10日~28日は団扇に代えて、祇園祭用の装飾を用いるのが習わしだ。
花簪はいつごろ生まれたのだろうか。江戸時代後期に創業した髪飾り店、金竹堂(京都・祇園)によると「定かなことは分からないが、江戸時代のいつの時期かに作られ始めたのでは」。そう推定する根拠は、簪の形状などを大きく左右する髪の結い方にある。女性は古来、髪は自ら結うものだったが、経済的に安定してきた江戸中期になると女性の髪を結う職業「女髪結」が江戸や京阪に登場する。
それとともに様々な日本髪の結い方が編み出され、本来は髪をとめたりする道具だった簪や櫛(くし)も装飾性を増し、色々なものが作られるようになったと考えられている。その1つが花簪。装いにことのほか気を使う花街の女性が趣向を競い合い、作る側も女性の要望に応えようと技を駆使するうちにどんどん豪華になり、季節による意匠の区分けも進んで現在の形式の花簪が定着したとみられている。
髪形による形態の違いは現在の花簪にもある。舞妓になって2年くらいまで、「割れしのぶ」と呼ぶ髪形の時期は小ぶりな花を連ねた簪で、色も華やかな赤などを使う。3年目くらいからのお姉さん舞妓は「おふく」と呼ぶ髪形に変わり、それに合わせて簪も花が大ぶりになり、色も少し落ち着ついた淡紅が用いられる。意匠の花の大きさも色も、年齢にふさわしいものをという訳だ。
■和紙に絹貼り光沢生み出す
弥栄会館内のギオンコーナーには、こうした舞妓の髪形や月々の花簪の概要について展示・解説がある。
金竹堂の定永光夫さんに製作過程を説明してもらった。花びらの材料は羽二重(はぶたえ=絹の布)。これをのり付けし、ハリを持たせた上で正方形に切り出して、「つまみ」と呼ぶ技法で一枚一枚の花びらを作る。この花びらを台にのり付けして1輪の花に仕上げる。花の茎を束ねる部分などに巻く糸は、見た目の美しさを重視して絹糸を用いる。花びらには羽二重を2枚、3枚重ねて作られているものもあり、まさに職人技だ。「まねき看板」の飾りも、和紙の上に絹を貼って光沢のある仕上がりにしている。
京都の花街では一般的に2~12月の各月は例年通りの飾りや配色が求められるが、1月だけは新デザインが使われる。年の最初は新しく、ということなのだろうか。金竹堂によると「実は昔通りのものを作るのが難しい」。生地屋や染め屋に転廃業が相次ぎ、昔通りの色に染めた羽二重が簡単には入手しづらくなりつつあるという。
金竹堂はいま、来年1月用の花簪をほぼ作り終えたところだ。デザインは寒菊に梅や南天を載せたもの。年が改まると舞妓の黒髪を飾る。
(文=編集委員 小橋弘之、写真=澤井慎也)
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