日本人モデル、世界遠く かわいい偏重でガラパゴス化

「海外で活躍する日本人モデルがなかなか出てこない。ファッション業界として後押ししよう」――。3月16日、経済産業省とモデルエージェンシー協会、日本ファッション・ウィーク(JFW)推進機構は新たなプロジェクトを打ち出した。
複数の有望な若手モデルを内外の様々なショーに出演させるのが骨子。「アジア系で目立つのは中国人や韓国人。世界での日本人モデルの存在感は低下するばかり」。モデルエージェンシー協会の中村敬子・副理事長は危機感を募らせる。

冨永愛、杏、松岡モナ。日本人トップモデルを次々育てたモデル事務所「ボン イマージュ」の馬淵哲矢社長は「スーパーモデルの勢力図はまさに国際経済の縮図」と指摘する。
台頭するのはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)や東欧、旧ソ連、東南アジア。自国のファッション市場の拡大を追い風にショーでの出番が増えている。モデルの発掘・育成を国家戦略としている国も少なくない。
1つのショーに出演するモデル40人程度のうち"アジア枠"は2~4人。だが新興国の勢いに押しやられる形で日本人の出番は減っている。
日本人モデルの躍進は日本経済成長の軌跡とほぼ相似形をたどってきた。先駆けは1960年代に活躍した松田和子さんや松本弘子さん。この時代に森英恵さんら日本人デザイナーも世界に飛び出すことになる。「松本さんと一緒にパリ旅行したのが世界進出のきっかけになった」と森英恵さんは回想する。
70年代にはおかっぱ頭に切れ長の目という"日本的"な風貌の山口小夜子さんが登場。日本の存在感が一段と高まり、高田賢三さん、三宅一生さん、山本寛斎さんら多くの日本人デザイナーが世界を席巻した。


だが変化が訪れるのはスーパーモデル・ブームが終わる2000年代。冨永さん、杏さん、TAOさんが活躍するが「世界で働く日本人モデルの絶対数は急減した」(馬淵さん)。最大の要因は新興国の台頭による日本経済の相対的な地位低下。また、海外で成功する日本人デザイナーもかつてほどの勢いはない。
これに加えて、若者の内向き志向の急速な高まりもあるようだ。

産業能率大学が新入社員に実施する意識調査では「海外で働きたいと思わない」との回答が04年ごろから大幅に上昇。海外への留学者数も04年をピークに減少基調に転じている。
日本の特殊事情も見逃せない。赤文字系雑誌と呼ばれる「CanCam」「JJ」「Ray」「Vivi」などが売れ、「かわいさ」や「身近さ」が売りのモデルがそのままタレントや女優として活躍する構造が定着。あえて外国の厳しい環境で勝負する若者は減ってしまった。
松岡モナさん、小椚ちはるさんらがかろうじて健闘するものの、国内で活躍するモデルの多くは身長175センチメートル以下なので世界では通用しにくい。携帯電話と同じようにモデルの世界でも日本市場に安住し、海外を意識しない「ガラパゴス現象」が起きているわけだ。
「こうした海外への無関心やハングリー精神の欠如はやがて社会の活力低下にもつながりかねない」(経産省クリエイティブ産業課)。分野を超えて現代日本が直面する課題でもある。
(編集委員 小林明)
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