「元祖スーパーモデル」山口小夜子 再注目の裏側
小夜子が57歳で亡くなってから8年。東京都現代美術館(東京・江東)では「山口小夜子 未来を着る人」展を開催中だ。服飾学校の生徒から世界的ファッションモデルになった小夜子を撮影したおびただしい数の写真や映像、ポスターのほか、後年、小夜子がかかわった舞踏や演劇にまつわる展示で構成。会場には、思いのほか若い世代も多く足を運んでいた。
展示品は、初期のものこそ素顔に近い表情豊かなショットも目立つが、ほとんどは小夜子のトレードマークになった独特のメーク姿で彩られている。切れ長の目を強調するアイメークやくっきりと縁取った深紅の口紅。意志を秘めた視線、きりりと固く結んだ唇とあいまって、一度見たら忘れない印象を刻みつけられる。
「素顔の小夜子は実は、ぱっちりした丸い目をしていた」。こう振り返るのは富川栄さん。「小夜子メーク」を本人とともに作りあげたアーティストで、現在、資生堂のメーキャップスクール「SABFA」の校長を務める。服飾学校出身でメーキャップにもひときわ研究熱心だった小夜子は、富川さんらとメークの細部まで一緒に作り込みながら独特のスタイルを編み出していったという。
小夜子がパリコレに本格的にデビューしたのは72年。富川さんによれば「日本人がパリを歩いていると、頭のてっぺんからつま先まで冷たい視線を感じるような時代」。そんな時代背景だったが、日本人らしさを前面に押し出すヘアメークでランウエーを歩いた小夜子は、ファッション業界では前衛的でクールな存在として一躍脚光を浴びたという。白人モデルの間で小夜子メークがはやっただけでなく、実物の彼女に似せた「SAYOKOマネキン」が欧米の有名デパートのショーウインドーを飾ったそうだ。
その活躍は、「メード・イン・ジャパン」の製品が、品質の面からも世界に認められていく軌跡とも重なる。小夜子は73年から86年まで資生堂と専属契約を結び、同社の化粧品が世界に認知を広げる媒介にもなった。
展示会の来場客の声を拾うと、「山口小夜子を知らなかった」という人が少なくなかった。「40年も前に、個性的なメークを通じて日本人として世界を切り開いたことがすごい」といった感想も聞かれた。
決して現代的ではないメークなのに、なぜいま小夜子が若い人の心をつかむのか。「小夜子が体現してきたのは、『装う』ということが本来持っている性質。非日常に飛躍する手段として、ファッションやメークを身にまとう姿が共感を呼んでいるのでは」。展示会を企画した同美術館学芸員の藪前知子さんはこう語る。
最近は「小夜コス(サヨコス)」という言葉まであるそうだ。小夜子風の髪形やメーク、服装に身を包んで小夜子になりきるコスプレを指す。藪前さんは「いまのファッションの主流は究極の普通ともいうべき『ノームコア』。それだけに、何かになりたいという人間の本質的な欲求のよりどころとして小夜子の存在が新鮮なのでは」と分析する。
(映像報道部 杉本晶子)
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