愉快、江戸にテーマパーク 大賞に「公方様のお通り抜け」
第7回日経小説大賞
400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編を対象とする第7回日経小説大賞には、196編の応募があった。時代小説や歴史小説、経済小説、恋愛小説など幅広いジャンルの作品が寄せられた。戦後70年という節目の年を迎え、第2次世界大戦を舞台にした作品も多かった。応募者は50~60歳代が半数以上を占めた。最終候補となった5編のうち3編の作者が女性で、女性応募者の質の高さが目立った。
第1次選考を通過した20編から最終候補となったのは5編。江戸時代の百姓が将軍御成のために大庭園造りに奔走する様子をコミカルに描いた西山ガラシャ氏の「公方様のお通り抜け」、白虎隊の生き残りである若者が会津藩存続をかけた密命に挑む笹木一加氏の「白虎の征く道」、不振に苦しむ名門企業とその陸上部の苦闘と復活を感動的につづった太田俊明氏の「右手を高く上げろ」、明智光秀を主人公に大胆な仮説で本能寺の変の裏側を語る兼松稔氏の「織田幕府幻想」、震災の傷痕が残る仙台で婚外子の女子大生が家族のつながりを見つめ直す松井綺香氏の「あなたがさよならを言うならば」が残った。
最終選考会は4日、東京都内で辻原登、高樹のぶ子、伊集院静の選考委員3氏がそろって行われた。5作品の内容や完成度について議論を重ねた結果、「公方様のお通り抜け」「右手を高く上げろ」の2作に絞られ、最終的に「公方様のお通り抜け」への授賞で一致した。
受賞作は江戸の名庭園として知られる通称「戸山荘」が舞台。「作品全体に遊びの精神が横溢(おういつ)し、読者をワンダーランドに誘い込む」とエンターテインメント性の高さが評価された。「都合良く史実が改変されていない」など時代小説としての完成度も支持された。
甚平は屋敷奉行から将軍・徳川家斉が屋敷に御成になると知らされる。屋敷は敷地面積13万坪のうち9割が庭園。荒れているが、巨大な池に「箱根山」と呼ばれる山、神社仏閣もある。将軍はこの庭を通り抜けるという。
100年ぶりの御成まで半年、甚平は屋敷奉行から将軍を喜ばせる仕掛けを考えるよう持ちかけられ、庭園で次々と趣向を凝らしたアイデアを試す。
<西山ガラシャ氏「公方様のお通り抜け」受賞に寄せて>物書きの出発点 珍種でありたい
このたび、第7回日経小説大賞を受賞し、物書きとしてのスタートラインに立たせていただけましたこと、望外の幸せです。
長年、文学賞へ応募しては落選し、また書いては応募を繰り返しておりました。その心境を例えて申し上げるならば、いつかは白鳥になりたい、なりたい、なれるだろうかと、夢を見ながら池を泳ぐ、迷えるアヒルでした。わたしの応募作も、一羽の妙なアヒルの印象だったかもしれません。
選考委員の先生がたが、池の向こう岸で、目の上に手を翳(かざ)し、「白鳥ではない」、「将来、多少なりとも飛べるだろうか」、「泳ぎ方が優雅ではない」等、おそらく欠点を指摘しつつ、アヒルをつぶさに観察してくださった気がしております。その機会を得ましただけでも貴重ですが、さらに、手を差し伸べて、池の中から岸へ引っぱり上げてくださいました。
受賞作は、江戸時代に実在した十三万坪の広大な庭園を舞台としております。現代のテーマパークにも相当する仕掛けが、庭の随所にありました。話の大枠は史実ですが、創作した人物もたくさん登場します。
江戸時代に、人を楽しませよう、喜んでもらおうと心を砕いた人々の姿を描きたくて、夢中で書き進めました。モデルとなった庭園は、明治以降どんどん開発が進んで、現在はまったく面影がありません。物語でしか再現できない世界です。
現在は、また新たな小説に取り組んでいますが、白鳥を目指すのではなく、珍種の空飛ぶアヒルになりたい心境で書いております。良き師と小説友だちにも恵まれました。誠にありがとうございました。
<選評>才筆であることは確か 作家・辻原登氏
「公方様のお通り抜け」と「あなたがさよならを言うならば」の二作のいずれかだなと思って臨んだ。
「公方様のお通り抜け」は当の作者が言う如く、「江戸時代版テーマパークの、総合プロデューサーのお話」。文の運びも、趣向の羅列もすらすらとまるで氷の上を滑るように進んで、オチのない長い落語本を読んでいるようだ。これはこれで立派な語りの芸。才筆であることは確か。
「あなたがさよならを言うならば」。私はもうタイトルを見ただけで腰が引けてしまった。読み進むうちに、情緒過多、時間軸の設定のまずさ、わざとらしい展開にいらだちつつ、しかし、どうやら「わたし」が抱えている悲しみに同調できるまでになっている自分に驚いた。甘い、甘い、大甘なのだが、あるいはこの甘さを研いでゆけば、ひょっとしたら、いつか上質のエンターテインメントに化ける可能性なきにしもあらず。この作者には、書かなければならない切実なもの(ヽヽヽヽヽ)があると思えるから。
久しぶりの「時代小説」の受賞を慶(よろこ)びたい。
<選評>幸せな時代小説は貴重 作家・高樹のぶ子氏
受賞作「公方様のお通り抜け」はハッピーエンドの時代小説だ。人の生死を日常化させがちな時代小説の中で、ハッピーエンドはそれだけでも貴重だと言える。
主人公は、将軍様を驚かせ感動させるために、来訪予定の庭に仕掛けをする。水量を自在に増減できる滝や、人が近づくと岩戸が開く洞窟など、現代であれば電気仕掛けで簡単だが、人力だけでそれをやってのける。仕組みは大成功で、将軍さまは大喜び。一同は人をもてなす喜びに目覚める、というポジティブ・ストーリー。こうした企(たくら)みの裏に在るはずの暗さと重さは無い。それを良しとするか、物足りないと感じるか。私は後者だったが、男性選考委員二人が良しとして受賞決定。女性作者による江戸テーマパーク出現を、私も応援することにした。
「右手を高く上げろ」は企業小説と駅伝を組み合わせた感動てんこ盛りの力作だった。駅伝の場面では大声で応援し、勝利したとき、私も右手を高く突き上げていた。今回は残念だったが、次回に期待したい。
<選評>小説のひとつの可能性 作家・伊集院静氏
小説はさまざまなジャンルの小説があって成立している。それは読者が小説にいろんな世界を求めているからである。これから先も私たちが想像しなかった分野の小説が誕生するはずだ。小説という表現の可能性のひとつがそこにある。今回の受賞作の西山ガラシャさんの『公方様のお通り抜け』は背景が江戸中期であり時代小説のジャンルに入れられるべきだが、この小説にはもうひとつ別のジャンルの見方がある。今、日本で家族連れや若い人たちが集まる場所に"テーマパーク"と呼ばれるエリアがある。人々が集い、楽しいひとときを過ごす。そこには何か他にはない愉(たの)しいものが待ち受け、日常とは異なる経験ができる。小説の持つ魅力にどこか似ている。この愉楽を作り出す人間を描こうとした点に、この小説の素晴らしい着眼点と、作者の小説の愉しみに対する勘の良さがある。いささか荒削りな所もあるが、それを凌駕(りょうが)している腕力と、何より落語にも似たユーモアが心地好いエスプリを与えている。将来が楽しみな新人作家の登場だ。
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