シッター15人と連携、米国で壁を乗り越え、働いた
アメリカでのシッター探しは日本国内以上に大変
日経DUAL編集部 日月さんはアメリカでの子育て、仕事を経験されていますね。日本国内でさえ保育園探しや、育児と仕事の両立などが大変なのに、海外という慣れない環境で子育てをする苦労はなおさら大きかったと思います。
日月(福井)真紀子さん(以下、敬称略)子どもが2歳のとき、夫の仕事の都合でアメリカに渡りました。そして子どもが5歳になるまで3年間、アメリカで子育てをしながら働きました。アメリカには公立の保育園などなく、一番安くて月10万円。だけれど質は最低レベル。20万円出せばまあまあ、さらに余裕のある人は30万円出して…といった状況でした。
夫は全然手伝わない人でしたし、始めは友達もいない、両親もいない。もう、ないない尽くしです。ベビーシッターを探そうにも、いわゆるベビーシッター協会のような団体もなく。どうやってシッターを探したらいいのか、よく分かりませんでした。
―― どのように乗り越えられたのですか。
日月 まず地元の人に相談してみました。すると「近所の老人会に行ってみなさい」と言われたので、老人会に出かけていきました。そこで、自分の名前と連絡先を書いた名刺を配ったんです。するとご老人の一人が、「あそこに日本人のおばあちゃんが住んでいるから、いいんじゃない?」と紹介してくれました。それで1人ゲット、というわけです。他にもママ友に紹介してもらったり、近所の高校生に声をかけたりと、色々なアプローチで人を探していきました。
候補者が見つかったら、必ず全員と面談をします。良さそうだということになれば、さらに1時間のトライアルを実施しました。娘との相性を確かめるためです。遅刻をしないかどうか、といったことも確認しながら、信用できると思った人に頼むようにしました。
「将来への投資」と、給料が安くても必死で働いた
―― そこまでして、なぜ異国の地で働こうと思ったのですか。
日月子育てでキャリアを中断すると将来が無いと思ったからです。どうやって両立したかというと、15名分のシッターリストを作っておいたんです。土日がOKかどうか、車が運転できるかどうかといった情報が一覧になったものです。それで、例えば子どもが急に熱を出したときは、このリストを基にシッターに順に電話して、頼める人を探していく。結果、アメリカで働いていた間、私は1日も仕事を休んだことがありません。
私は夫の1度目の米国赴任を機に仕事を辞めていました。でも子育てを始めて半年過ぎたころから、「やっぱり働きたい」と思うようになり、アメリカの法律事務所でパラリーガル(法律事務職員)の仕事に就いたんです。そのとき私の頭にあったのは、数年後日本に戻ってから仕事を得るために、今のうちにどのようなスキルを身に付けておいたらいいだろうか、ということです。今は多少お給料が安くても、アメリカでしっかり働いておけば、必ず将来に役立つスキルが身に付く。これは将来への投資。そう考えて、必死に働きました。
―― 日本に帰国してからの子育てはどうでしたか?
日月 帰国したときはタイミング的に中途半端で、子どもを保育園に入れることができず、幼稚園に入れてフルタイムの仕事に就きました。幼稚園は午後2時に終わってしまうので、お迎えをどうするのかが問題になります。でも、日本では私の両親と妹、夫の両親が近くに住んでいて合計5人、頼れる人がいたんです。なので、お迎えは私がシフト表を作って、分担を割り振って、5人の連携プレーのお蔭で働くことができました。1人の人にすべて頼むのは難しいですが、5人の力を合わせれば、なんとかなるので。ないない尽くしの海外生活に比べると、日本ではとても恵まれていました。
■条件を変えて、諦めずに探せば、子育ての解決策はある
―― 子育て中も、ずっとフルタイムで働き続けたんですか。 子育てや家事との両立はどうしていましたか。
日月 フルタイムで働き続けました。娘は小1から小4まで学童に通っていました。でも学童は夜6時に終わるので、それ以降の時間はどうするの? ということになりますよね。よくそれを理由に時短勤務を選ぶ人がいますが、時短でキャリアを失うと将来に大きく響きます。もったいないと思いました。
私はファミリーサポートセンターを利用して、夜6時から8時まで子どもを預かってくれる人を探しました。学童の後のお迎えに行ってもらって、その方の自宅で預かってもらい、おやつを食べさせてもらったり宿題をしたりします。これで6年間、大変お世話になりました。
こうして話すと、日月さんはラッキーで恵まれていたから両立ができたのよ、と思われるかもしれません。子どもを預ける場所を見つけるのは本当に大変なんだから、と。でも、そんなことはありません。
ファミリーサポートセンターに行ったときも、すぐにいい人が見つかったわけではないんです。
希望者がたくさんいて今すぐには紹介できない、と最初は断られました。ただ、よくよく話を聞くと、「男性だったら、いるんだけどね」と言うのです。私は「男性でも全然、問題ありません」と答えました。もし、「子どもを預けるのは女性じゃないと」と決め付けて、女性限定で探していたら何カ月も見つからなかったかもしれません。見つからない理由って、自分の条件設定がカセになっている場合があるんですよ。「見つからない」「いい人がいない」と嘆いている人は、まず自分の条件設定を見直してみたらいいかもしれません。条件を変えて、諦めずに探せば、解決策は絶対にあるはずなんです。
もう一つ両立のコツは、何でも一人でやろうとは思わないことですね。仕事に家事に、自分で全部やって、へとへとになって家族にあたるよりは家事代行サービスなどを利用して、お金を出してでも家族関係が良好に保てたほうがいい。どうしても自分でやってしまう気持ちもすごくよく分かるんですけどね。
私も、月に2回、家事代行サービスで掃除をお願いしていました。窓やレンジなど、普段手の届かない所をやってもらえるだけでずいぶん楽になります。金額的には、月2~3万円のことです。それを高いと感じるかどうかは、結局、何にぜいたくするか、なんですよね。共働きならその分収入は多いはずですし、ブランドもののバッグを買うのか、何にお金を投資するのかということです。
娘は会社設立のときに、一番の協力者になってくれた
―― お母さんの働く姿をずっと見ていた娘さんとの、今の関係はどうですか。
日月 今、娘は高校生で海外に留学中です。若いうちに日本以外のいろんな価値観、生き方を知ったうえで、自分の生き方を考えることが大切だと思うので。可能性は広く持たせてあげたいですね。やりたいことは、できるだけさせてあげたい。私が働いているからという理由で子どものやりたいことを諦めさせたくはなかったので、書道、水泳などの習い事も通わせました。それもやはり、連携プレーで沢山の人に手伝ってもらったからこそできたことです。
娘は、働く私を応援してくれています。2007年にハーモニーレジデンスという会社を設立したときも、娘は一番の協力者でした。作ったチラシを見せて、「どう思う?」と意見を聞いたりしていました。休日はプリクラやカラオケに一緒に行ったりします。ただ娘はまだティーンエージャーですから、これからまた難しい年ごろに入ってくるのかなと思っています。夏に娘が帰国したら、今どんなことを考えているのか、将来どんなことをやりたいのか、ゆっくり話を聞いてみたいなと思っています。
(ライター 星野ハイジ)
[日経DUAL 2015年7月8日付記事を再構成]
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