WOMAN SMART

朝・夕刊の「W」

飯田蝶子 飾らずおごらず一心の名脇役 ヒロインは強し(木内昇)

2015/4/12

名脇役と称される役者は古今東西いるけれど、飯田蝶子は格別だ。彼女が登場した途端、銀幕の世界は一気に現実味を帯び、演ずる人物の体臭まで漂ってくるようなのだ。主役を張った小津安二郎監督作品「一人息子」「長屋紳士録」でも市井の人々の些細な日常が、彼女の存在感ゆえ情感豊かに息づいている。

イラストレーション・山口はるみ ■小津作品に18本も 1897~1972。浅草生まれ。父は逓信省の官吏だったが、子だくさんということもあり蝶子は祖母に引き取られる。上野高等女学校中退後、婦人記者などを経て大正11年(1922年)松竹蒲田撮影所に入社。池田義信監督の「闇を行く」の女土方役で見出され、以降「大学は出たけれど」「酔いどれ天使」など出演多数。主に成瀬巳喜男、五所平之助監督と組み、また小津作品には18本も出演している

二十代の頃から老け役が多かった。いわゆる美人女優ではない。女優目指して松竹や日活に写真を送るも門前払い。つてをたどって蒲田撮影所所長との面接に漕ぎ着けたはいいが、「お前のような不美人はダメや」と一刀両断。しかし蝶子は「女中役なら美人を使うより、私のような不美人がかえっていいんじゃないですか」と見事な受太刀を見せ、大部屋女優として入社を果たしたのである。

頭のいい人なのだろう。浅草生まれの江戸っ子で、上野高女の学生時分から職業婦人として生きると決めていた。上野松坂屋の店員や婦人記者として勤めたが、中村又五郎一座の常打ち小屋「公園劇場」の舞台に立って以来、女優一本に的を絞った。

とはいえ当時は役者が職業的に下に見られていた時代。大反対する両親を説き伏せようと撮影所に呼んだはいいが、蝶子の役は大勢いる女土方のひとりである。やむなく、カメラに背中を向けた地ならしの場面で、ひょいとお尻をかいてみせた。「あれが私よ」と両親に知らせるためのアドリブだったが、これが監督の目に留まる。「あの女優は使える」。大きな役に恵まれる契機となった。

蒲田入社後、五年ほどで幹部俳優に上り詰めた蝶子だが、その人柄はあくまで気さくで朗らかだった。自分が借金で苦労した経験があったから、友人が金に困っていると見るや、相手が切り出す前に「いくら必要なの?」と明るく訊いた。若手俳優たちの面倒もよく見たが、相手の負担にならないようさりげない気配りに徹したという。

蝶子は、小津映画のほとんどで撮影を担当したカメラマン・茂原英雄と結婚する。晩年、茂原は蝶子についてこんなふうに語っている。

「人間が名誉や地位なんかで評価されたら堪らない。有名になるのと偉いのとは全然別のことで、その意味では家内は偉くはありませんよ」

技術だけで演じず、演じるために人間を磨き続けた女優だった。熱意をもって仕事に取り組み、けれど人としては飾らずおごらず、他人にも自分にも常に正直でいた。

歳をとると「自分のやり方」が凝り固まる。プライドが勝り、つい自己主張に走る。でも根のしっかり張った人は、我を通さずとも在り方がぶれないのだ。だから周りにも優しくいられるのだろう。

藍綬褒章に内定したという連絡が来たとき、蝶子は電話口で言ったそうである。「冗談は言わないでくださいよ。あたしみたいな女が勲章をもらうなんてそんなバカな」。名誉や地位のためでなく、人として偉くなろうと一心に仕事をしてきた女優の、素直な言葉だった。

[日本経済新聞朝刊女性面2015年4月11日付]

木内 昇(きうち・のぼり) 67年東京生まれ。作家。著書に「茗荷谷の猫」「漂砂のうたう」(直木賞)「笑い三年、泣き三月。」「ある男」など。

WOMAN SMART 新着記事

WOMAN SMART 注目トピックス
日経doors
婚活でやってはいけないこと 高学歴女子が陥りがち
日経DUAL
手軽なツールSNS 疲れずに仕事人脈をつくるコツ
日経ARIA
東川町に単身移住。不安、不便、不足だらけでも毎日
日経doors
『サードドア』著者バナヤン氏(下) 不安と友達に
ALL CHANNEL