飯田蝶子 飾らずおごらず一心の名脇役
ヒロインは強し(木内昇)
名脇役と称される役者は古今東西いるけれど、飯田蝶子は格別だ。彼女が登場した途端、銀幕の世界は一気に現実味を帯び、演ずる人物の体臭まで漂ってくるようなのだ。主役を張った小津安二郎監督作品「一人息子」「長屋紳士録」でも市井の人々の些細な日常が、彼女の存在感ゆえ情感豊かに息づいている。
二十代の頃から老け役が多かった。いわゆる美人女優ではない。女優目指して松竹や日活に写真を送るも門前払い。つてをたどって蒲田撮影所所長との面接に漕ぎ着けたはいいが、「お前のような不美人はダメや」と一刀両断。しかし蝶子は「女中役なら美人を使うより、私のような不美人がかえっていいんじゃないですか」と見事な受太刀を見せ、大部屋女優として入社を果たしたのである。
頭のいい人なのだろう。浅草生まれの江戸っ子で、上野高女の学生時分から職業婦人として生きると決めていた。上野松坂屋の店員や婦人記者として勤めたが、中村又五郎一座の常打ち小屋「公園劇場」の舞台に立って以来、女優一本に的を絞った。
とはいえ当時は役者が職業的に下に見られていた時代。大反対する両親を説き伏せようと撮影所に呼んだはいいが、蝶子の役は大勢いる女土方のひとりである。やむなく、カメラに背中を向けた地ならしの場面で、ひょいとお尻をかいてみせた。「あれが私よ」と両親に知らせるためのアドリブだったが、これが監督の目に留まる。「あの女優は使える」。大きな役に恵まれる契機となった。
蒲田入社後、五年ほどで幹部俳優に上り詰めた蝶子だが、その人柄はあくまで気さくで朗らかだった。自分が借金で苦労した経験があったから、友人が金に困っていると見るや、相手が切り出す前に「いくら必要なの?」と明るく訊いた。若手俳優たちの面倒もよく見たが、相手の負担にならないようさりげない気配りに徹したという。
蝶子は、小津映画のほとんどで撮影を担当したカメラマン・茂原英雄と結婚する。晩年、茂原は蝶子についてこんなふうに語っている。
「人間が名誉や地位なんかで評価されたら堪らない。有名になるのと偉いのとは全然別のことで、その意味では家内は偉くはありませんよ」
技術だけで演じず、演じるために人間を磨き続けた女優だった。熱意をもって仕事に取り組み、けれど人としては飾らずおごらず、他人にも自分にも常に正直でいた。
歳をとると「自分のやり方」が凝り固まる。プライドが勝り、つい自己主張に走る。でも根のしっかり張った人は、我を通さずとも在り方がぶれないのだ。だから周りにも優しくいられるのだろう。
藍綬褒章に内定したという連絡が来たとき、蝶子は電話口で言ったそうである。「冗談は言わないでくださいよ。あたしみたいな女が勲章をもらうなんてそんなバカな」。名誉や地位のためでなく、人として偉くなろうと一心に仕事をしてきた女優の、素直な言葉だった。
[日本経済新聞朝刊女性面2015年4月11日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連企業・業界