正岡律 子規の介護という偉業
ヒロインは強し(木内昇)
俳人・正岡子規には律という三つ違いの妹がいた。肺結核から脊椎カリエスを発症し、寝たきりになった子規を、母・八重とともに看たのがこの律だった。二十代後半から三十代前半の七年弱を、彼女は兄の介護に捧げたのだ。
部屋を清潔に保ち、食事を支度し、兄の包帯を取り替え、排泄の世話をする――これが律の日々である。カリエスの悪化で子規の背中と腰には穴があき、そこがただれて膿が溜まった。当然、包帯の取り替えも細心の注意を要する。律の談話が残っている。
「穴に一寸でも触れようものなら飛び上がる程であったらしいので、フランネルのような柔らかい布に、一面油薬を塗って、それで穴を塞いで、その上に脱脂綿を一重、その上へ普通の綿をかなり厚めに載せて包帯をかけ、ピンでとめておくのでした」
朝食後に飲む痛み止めが効いた頃を見計らい、律は手際よく作業をした。これほど献身的介護をしても、病人の側からすれば不服もあったようだ。子規は「病牀六尺」で、家事の手間は省いても介抱第一にすべきだと訴える。
「病人を介抱するというのは畢竟病人を慰めるのに外ならんのであるから、教えることもできないような極めて些末なる事に気が利くようでなければならぬ」
兄妹の間になにか諍いがあったのか、「仰臥漫録」では律に対して「癇癪持ちで強情で気が利かぬ」と、辛辣なことも書いている。
「律は理屈づめの女なり。同感同情の無き木石のごとき女なり。義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし」
身勝手な言い分に映るかもしれない。だが子規も、耐え難い痛みと、一切の自由が効かぬ体に苛立っているのだ。ことに病を得る前は、野球を愛し、旅を楽しみ、快活に生きた子規だからこそ、余計にやり切れなかったのだ。
律はけれど、介護を苦労としては語らなかった。包帯取り替えについても「お互いにお勤めのような思いでした」とさらりと述懐するにとどめている。子規を看取ったのちは、自活のために共立女子職業学校に入学、裁縫を学んだ。おそらく優秀な生徒だったのだろう。卒業後は教員として母校に採用されている。二度の結婚離婚を経験しているためかその後所帯を持つことはなく、家で裁縫を教えつつ、老いた母の世話をした。
律は歴史的偉業をなしたわけではない。女性の自立目指して運動したわけでもない。彼女はただ一心に家族を支えた。子規も、時に文句こそ言え、自分の介抱は律にしか委ねられぬことを知りすぎるほど知っていたはずだ。
介護にはさまざまなケースがあり、ひと言で片付けることはできない。ただ、他に代わることのできない仕事を偉業というのなら、律の介護はまさにそれである。そして今現在も律と同じように、誰かのかけがえのない支えとなって働いている方が数多くいらっしゃるのだ。表には出なくとも、それは確かに偉大な仕事なのである。
[日本経済新聞朝刊女性面2015年2月7日付]
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