小島慶子 ブスの学力、美人の学力
~見た目の呪縛
「うちの子ブスでしょ。だから勉強しないとね」
幼い娘を遊ばせながら、その母親は言った。おお、と私は衝撃を受けた。わが子をブスと断じて、だから勉強とはいかに。
その母親は美人で高学歴で社会的地位も高い。「ちゃんと勉強して私のように立派な大人に」というのはまだわかる気がするのだが、「ブスだから勉強」って、じゃあ娘が美人だったらそうは言わないのか。
どうやら彼女の理屈では「ブスは男にもてない→稼ぐ男に養ってもらうのは無理→自力で生きていけるように学力をつけなくちゃならない」ということらしい。彼女は学力が高くて美人なので「比較検討の結果」最良の同業男性と結婚したという。職業柄女性が少なく、かつ美人が珍しい職場だったので、彼女のような女は相手を選び放題だったらしいのだ。
女にとって、知性は付加価値なのか
どうも話を聞いていると、「私は学力が高かったので男に頼らずとも自立できる仕事に就けた、よかった」ということではなく、「私は学力が高かったので高学歴男性の社会に入ることができ、そこで美人という強みを生かして最高の男と結婚できた、よかった」ということらしい。
なるほど…彼女自身の学力は「美人の中でも特別な女」になるためのもの、美貌に知性という付加価値をつけて、よりよい結婚をするためのものだったのだ。で、娘の学力は「結婚に期待せず自力で生き延びる」ための必須条件。付加価値の知性とは別ものというわけだ。
美人が勉強する意味とブスが勉強する意味は違う、と彼女は考えている。だから「ブスだから勉強」という言い方になった。もしも娘が美人だったら「うちの子美人でしょ。これで勉強ができたら無敵よね、私みたいにエリート男を選び放題だもの」という言い方になるのだろう。
女性の見た目にめざといのは女性だったりする
それにしても、女性はどうしてこうも見た目に左右されるのだろう。見た目の品定めから自由な女性はいない。品定めするのは男ばかりではない。「あの女優は整形」「あのアイドルは劣化した」などと言いたがるのはたいてい女性だし、身近な女性の身なりの変化にもめざとく気づく。美人にはバカで性悪であってほしいと願い、不美人を軽んじる気持ちもある。
「女性が書いた記事は、プロフィル写真が地味だとクリックしてもらえないんです」とあるWEB編集者が言った。「私がどんなに頑張っても、若くて美人の編集者のところにばかり、企画が持ち込まれるんです」とある書籍編集者が言った。「おしゃれにしていないと、女性に話を聞いてもらえないんです」とある弁護士は言った。
3人とも女性だ。意見を言える場所にたどり着くのにも見た目がものを言う、というのは何とも理不尽だが、こうした経験のある人は多いだろう。
誰にも選べない「見た目」の呪縛
見た目はくじ引きだ。自分ではどうにもならない。あたりを引いた人もそうではない人も、自分ではどうにもできなかったということにおいては平等だ。あたりを引いたのは手柄ではないし、はずれを引いたのも落ち度ではない。あたりを引いた人がそうでない人から奪ったのでもない。
山を見るにつけても人を見るにつけても、そこに調和のとれた美があるかどうかを無意識に探してしまうのが人の目だ。見たいという欲望はとてつもなく強い。だから人は見た目に振り回される。姿の良いものを見たいという欲望には抗いがたいのだ。同時に、自分を振り回すものへの憎悪もある。自ら見たいと望んだのに、不当に搾取されているような気にもなるのだ。
わが子を「ブス」と言いきり、「だから勉強」と断じたあの母親も、あるいは美人であるがゆえの見た目差別を受けたこともあろう。生まれつき足が速いなら陸上選手を目指せばいいし、顔がいいならそれを強みにして生きればいい。彼女が自分の容姿を活用したのは極めて合理的だ。だけど彼女が、女の美醜を「いい男をつかまえられるかどうか」に直結させてしまうところに、彼女の抱えた抑圧の強さを感じる。
学力は何のためのものなのか
男の消費財としての「女」という前提に立てば、女の若さや見た目は価格に直結する。そういう前提で育てられた女は「市場価値の高い男たちが欲しがる、高値のつく自分」しか認めることができなくなる。高い学力に恵まれながら、結局は自分を男に選ばれた女としてしか誇れない彼女の貧しさは、刷り込まれた偏狭な女性観によるものだと思う。その同じ刷り込みを、娘にも与えるのか。
「あんたはブスだから欲しがられない、だから一人っきりで生きていけるように学力で武装しろ」と。学力は、人を孤独に囲い込むためのものか。彼女は、娘から学ぶ喜びまで奪おうとしている。学ぶことは、人を自由にすることにほかならないのに。
そして世の中には、学ぶ喜びを分かち合うことを豊かだと考える人がたくさんいる。相手を愛玩して消費するためでも、自分の値をつり上げてもらうためでもなく他者と出会える人は、たくさんいるのである。
見た目の美醜にかかわらず、彼女が娘に教えるべきことはそれではないのか。あなたが誰でも、世界はあなたを歓迎する、あなたは世界を信じていいと。
それは親が子どもに言ってやれる、唯一のことだと思うのである。
タレント、エッセイスト。放送局アナウンサーとして15年間勤務の後、現在はタレント、エッセイストとして活動中。小学生の息子が二人。著書に『解縛(げばく) ~しんどい親から自由になる』(新潮社)、『女たちの武装解除』(光文社)、『失敗礼賛~不安と生きるコミュニケーション術』(KKベストセラーズ)など。現在は家族の拠点をオーストラリアに移し、自身は仕事で日豪往復の日々。
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[日経DUAL 2014年11月14日付の記事を基に再構成]
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