ホテルでの過ごし方は、基本的にみんな1人でいたので、キャストも各自それぞれでした。光一君はほとんど外に出ずに過ごしていたと思うし、僕らもちょっと散歩や買い物に出るくらい。岸祐二さんは毎日淀川の川辺を散歩していて、そこで1人自主稽古をしている音月桂さんを見つけて、写真に撮って送ってくれたりもしました。みんなの行動を見ていると、大人というのかな、自分なりにできることややりたいことを淡々としている姿が印象的でした。
僕は、経済の本とかを心のおもむくままに読みました。普段は落ち着いて読める時間がないので、楽しかったですね。コメンテーターの仕事もするようになって、分からないことがいっぱいあるので、株式って何だっけとか、経済の仕組みから勉強しました。ミュージカルの本も、1980年代のブロードウェイの様子を描いたものを読みました。トニー賞の授賞式が9月下旬にあるし、これから先どういうミュージカルをやりたいかとか、オリジナルでどんなものを作れるのか、といったことも考えながら。興味があることをゆっくり考える余裕ができたという意味では、充実した時間でした。
俳優仲間からは「大変だね」とよく連絡が来ました。たしかに大変ではあるのですが、意外に普通に、のんびりと過ごしていました。同時に、みんなと話していたのは、1週間くらいで初日が迎えられるだろうという希望があったから落ち着いていられたけど、もっと先が見通せない状況だったら、また精神状況も違っただろうねと。今は誰に何があってもおかしくないので。とにかく、幕が開けられたのは幸せなことです。
舞台の上でどう感じるかを大事に
公演は始まったばかりですが、再演なので作品への理解が深まった実感があります。キャラクターの違いやシーンの意味がはっきりしてきたように思います。シェイクスピアのセリフは口語体ではないので、言いにくいところがあるのですが、それもなじんできて、テンポがよくなった上に分かりやすくなったのではないでしょうか。それは僕たち演じる側の感覚なので、お客さまもそう感じてくれているといいのですが。
僕は、今年に入って『日本人のへそ』『首切り王子と愚かな女』とストレートプレイ(セリフだけの演劇)が続いていて、セリフを言うことに慣れたからか、初演のときと同じセリフをしゃべってもずいぶん感覚が違います。今回はすごく楽に、その瞬間を生きているみたいな気がします。今思うと、大きいミュージカルでは演技以外に気にしなければいけないこともたくさんあるので、演技の集中力が足りないところがあったかもしれません。
今はジョンの「たかがお芝居なんだ」という言葉を生かして、これを表現しなきゃと気負うのではなく、肩の力を抜いて、舞台の上でどう感じるかを大事に演じています。すると、相手の言っていることを一生懸命聞かないと次に進めないし、それで物語がどんどん流れていっているように感じます。必然性を持って物語が進んでいくというのかな。神話が出てくるし、騎士が活躍するシェイクスピア劇なので現代から遠い世界の話なのですが、それが身近な日常で起こっている出来事のように見えるなら、とてもすてきなことです。
開幕できたといっても、もちろんそれがゴールではなく、大阪・東京・福岡とまだ90公演近くあります。これから先、いつどうなるか分からないですが、今までもそうだったように、今日できたことに感謝して、1回1回の公演を大事に日々を積み重ねていきたいと思っています。

(日経BP/2970円・税込み)
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)、『夢をかける』(日経BP)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第101回は10月2日(土)の予定です。