昭和レトロ、クイズで挑戦 令和に続く元気印のルーツ

若者世代などで昭和レトロがちょっとしたブームとなっている。令和のいまも現役で、発展を遂げてきた商品やサービスは数多い。昭和クイズに千人が回答。正答率が低い順にランキングした。

■1位 昭和時代に登場した雑誌は 25.7%
(1)婦人画報 (2)an・an (3)ゼクシィ

インターネットがまだなかった昭和40~50年代、若者文化の発信源は雑誌だった。

日本万国博覧会(大阪万博)が開かれた昭和45年。マガジンハウスの女性誌「an・an」が創刊された。ハイセンスなグラビアを多用し、女性の憧れや志向をいち早く発信する女性ライフスタイル誌の走りとなった。昭和40~50年代は10代向けの「セブンティーン」(集英社)、女子大生向けの「JJ」(光文社)など、女性誌文化が一気に花開いた。

an・anや競合誌の「non・no」(集英社)が組んだ国内旅行特集も話題に。若い女性だけの旅がまだ珍しかったころに、各地を旅する「アンノン族」は時代を象徴するトレンドとなった。

若い男性向けには昭和51年に「ポパイ」(マガジンハウス)が創刊されるなど、おしゃれやデートに役立つ情報誌の時代を迎えた。

回答者のうち20、30代は約8割が正解を「婦人画報」とした。同誌の創刊は明治38年。平成5年創刊の「ゼクシィ」を含め、今回のクイズの選択肢となった3誌とも、令和の今も現役で刊行中だ。

〈正解は(2)〉

■2位 昭和を象徴する用語で、登場年が2番目なのは 27.5%
(1)団塊の世代 (2)もはや戦後ではない (3)狂乱物価

終戦から約10年。ときの経済白書(昭和31年度版)は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言した。30年代は洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビの「三種の神器」などが相次ぎ家庭に入り、家事労働の負担は大きく軽減された。

高度経済成長を遂げた日本社会だが、ひずみも目立つようになる。オイルショックをきっかけに小売店の店頭からトイレットペーパーなどが消え、商品は一時奪い合いに。昭和49年には「狂乱物価」となった。

堺屋太一の未来予測小説「団塊の世代」の連載は昭和51年に始まった。昭和22年からの3年間に生まれた人口ボリュームゾーンを指す用語として定着している。

〈正解は(3)〉

■3位 海外パックツアー、日本で初めて発売したのは 28.6%
(1)JTB (2)日本航空 (3)日本旅行

昭和40年、「ジャルパック」の海外旅行参加者が羽田空港を飛び立った。欧州を16日間で周遊する旅など7コースあり、海外団体旅行としては初めてのものだった。

欧州コース16日間の参加費用は1人あたり67万5000円。現在の物価で換算すると、280万円超の豪華旅行となる。自動車が買えるぐらいで、庶民文化研究家の町田忍さんは「あまりに高すぎて身近なものとは感じられなかった」と振り返る。

しかし、日本の経済成長や円高につれて海外旅行は身近なものに。昭和40年に16万人弱だった出国者数はコロナ禍前の2019年には2000万人を超えた。

〈正解は(2)〉

■4位 軽乗用車の先駆けともいえる車を発売した企業は 32.0%
(1)スズキ (2)ダイハツ (3)富士重工業

「てんとう虫」の愛称で親しまれた丸みのあるフォルムにユーモラスな表情。昭和33年に発売された国産軽自動車が「スバル360」だ。

当時の価格は42万5000円で、現在の物価では250万円ほどとなる。庶民にはまだ夢でしかなかった「マイカー」に手が届くかも、と希望の光を投げかけた。発売後13年ほどの間に約39万台を生産した。

スバル360を開発・発売した富士重工業(現SUBARU)は軽自動車生産を2012年で終えたが、低価格で運転しやすい「国民車」の思想は日本の軽自動車メーカーに引き継がれているといえる。

〈正解は(3)〉

■5位 昭和60年に登場したショルダーホンの重さは 37.8%
(1)約5kg (2)約3kg (3)約1kg

肩ひも付きでガッチリした学生かばんのような本体。大きな受話器――。いまのスマートフォンの元祖ともいえる移動体通信用機器「ショルダーホン」のサービスを、NTTが本格的に始めたのは昭和60年のことだ。自動車電話を車外にも持ち出せるようにしたものだった。

1人1台の携帯電話は当時、SFマンガのトピックだったが、平成に入るとポケットに収まるサイズの携帯電話が普及。後のスマホへと発展していった。ショルダーホンは「重い」とのイメージが広がっているのか、クイズでは全体の半数以上が「約5キロ」と回答した。

〈正解は(2)〉