キャシディーさんは、自分用の個別化mRNAワクチンの注射とペムブロリズマブという免疫療法薬の点滴投与を27週間で9回受けた。主治医であるアリゾナ大学がんセンター副センター長のジュリー・E・バウマン氏のもとへ最初のうちは週1回、のちに3週間に1回通い、定期的にCT(コンピューター断層撮影装置)スキャンも受けた。注射のたびに高熱が出て、倦怠感や体の痛みなどの症状が24時間続いた。「私の免疫系が活性化していたからです。がんと闘うためには必要なことでした」とキャシディーさんは語る。

治療が20年10月に終了した頃には、キャシディーさんのCT画像に異常は見られず、体内にがんは見つからなくなっていた。

オーダーメードで免疫系を訓練

「私たちがmRNAがんワクチンでやろうとしているのは、免疫系に腫瘍の存在を知らせ、攻撃させることです。mRNAがんワクチンは、生物学的なソフトウエアのようなものなのです」と、米ヒューストン・メソジスト病院RNA治療センターの医療ディレクターを務める医師のジョン・クック氏は説明する。「現時点であまり良い治療法がないがんや、転移する可能性が高いがんに対してワクチンが開発されています」

「がんは免疫系に見つからないように、免疫系を抑制する信号を出しています」とアンダーソン氏は言う。「mRNAワクチンの目的は、免疫系に警戒態勢をとらせ、腫瘍細胞の特徴的な部分を狙って攻撃するように仕向けることにあります」

mRNAがんワクチンには、オーダーメードでないものもある。こうした「既製品」のmRNAがんワクチンは、特定の腫瘍の表面に現れるたんぱく質を標的とするように設計されている。その効果は現時点では推測の域を出ないが、一部の専門家は懸念を抱いている。

「問題は、標的は何かということです。ワクチンが効果を発揮するためには、常に正しい標的が必要なのです」と、米ダナ・ファーバーがん研究所と米ハーバード大学医学大学院の腫瘍学者で、免疫療法を専門とするデビッド・ブラウン氏は言う。がんの場合、コロナウイルスのスパイクたんぱく質のような普遍的な標的は存在せず、がん細胞のDNAの変異は患者ごとに異なっている。

そこで登場するのが個別化mRNAがんワクチンだ。専門家は、こちらのアプローチの方が有望だと考えている。個別化mRNAがんワクチンの場合、患者の腫瘍から組織サンプルを採取し、そのDNAを分析して、がん細胞と正常で健康な細胞とを区別する変異を特定するのだと、アリゾナ大学医学大学院ツーソン校の血液学・腫瘍学部長でもあるバウマン氏は説明する。

コンピューターで2つのDNAサンプルを比較して腫瘍に特有の変異を特定し、その結果にもとづいて、ワクチンに用いるmRNA分子を設計する。この作業には4~8週間かかる。国立アレルギー感染症研究所ワクチン研究センターの細胞免疫学部門長であるロバート・A・セーダー氏は、「離れ業と言ってよい技術です」と言う。

注射されたmRNAは患者の細胞に指示を出し、腫瘍にある特定の変異に関連したたんぱく質を作らせる。こうして作られた腫瘍たんぱく質の断片は、患者の免疫系によって認識される。基本的には、免疫系のT細胞を訓練し、がん細胞の変異を最大で20個ほど認識させ、それらの変異をもつ細胞だけを攻撃させる。免疫系は体内をくまなく探索し、腫瘍細胞を探し出して破壊する。

「個別化がんワクチンは、異常な細胞を認識することに特化したキラーT細胞を目覚めさせ、がん化した細胞を殺させます」とバウマン氏は述べる。「患者自身の免疫系を軍隊として利用し、がんを排除するのです」

「これは典型的な個別化医療です」とモリス氏は言う。「高度に個別化された、きわめて特異的なアプローチであり、その人だけに効果がある治療法です」

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大腸がんには効きにくかった