「首切り王子」 これぞ僕の思うプリンス(井上芳雄)第96回

日経エンタテインメント!

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井上芳雄です。7月はPARCO劇場で上演している新作のストレートプレイ(セリフだけの演劇)『首切り王子と愚かな女』が4日で千秋楽となり、その後、大阪、広島、福岡と地方公演が続きます。毎日お客さまの反応や声を聞きながら、自信を持ってお届けできている手応えがあるし、演劇ならではの楽しみ方ができる作品だと感じています。

『首切り王子と愚かな女』(7月4日までPARCO劇場にて上演中。7月10~11日大阪、13日広島、16~17日福岡で公演) 首切り王子トル役の井上芳雄(撮影:加藤幸広)

今回の作品は、まず舞台の作りが変わっていて、セット全体が稽古場のようなチャレンジングな構造です。木の箱を組み合わせた島がいくつかあって、俳優自身がそれを動かしたり組み合わせたりして、いろんなシーンに見立てます。具体的なものはほとんど出てこなくて、お客さま自身が想像力でいろんな情景をイメージしてほしいと思って演じているのですが、思った以上にそれを楽しんでくれているみたいで、うれしいですね。

舞台の周りには、見える楽屋があって、役者は出番が終わったらその楽屋に戻ります。お客さまからは見られっぱなしで、どう見えているのかはいまだによく分からないのですが、日に日に慣れてきて、客席に知り合いがいないか探したり、隣の若村麻由美さんや伊藤沙莉さんとしゃべったりする余裕も出てきました。

作・演出の蓬莱竜太さんの意図としては、この舞台装置は稽古場をそのまま見せたいということだと思います。なぜそう思ったのかは僕には分からないですが。やっぱり稽古場でやってることはすごくクリエイティブで、稽古で感動することもたくさんあります。そういう演劇をつくっていく面白さを伝えたかったのではないでしょうか。稽古場感を強調するために楽屋が周りにあるのだろうし、後ろにあるパネルも防音シートみたいで、本当に稽古場やスタジオにあるようなものです。窓が1カ所あるのも、実際にそういう稽古場が存在しています。特に今回はファンタジーで、架空の時代や国の話なので、イメージを限定しないという意味でも面白い試みだと思います。

「首切り王子」というタイトルなので、僕もさんざんネタにしましたが、見に来られる方はダークでアウトローなプリンスを想像していたと思います。僕も最初はそうでした。でも、実際に首切り王子トルを演じてみたら、やればやるほど、これこそが王子じゃないか、という気がしています。2番目の王子なので正統な第1王子ではないのですが、生まれながらに人生の立場が決められていて、母親の愛が欲しかったり、みんなに愛されたかったりするのに、それがかなわず、権力で言うことを聞かせようとしてもうまくいかなくて、本人も苦しむ。誰にも理解されない孤独や飢えこそが、僕の思う王子だという気がしています。

歌も印象的に使われています。子どものころ、離島で従者と2人で暮らしていたときに従者が歌っていた歌を、ときおり口ずさみます。首切りという残忍な行為をしているトルですが、歌い出すとすごく純粋なものが出てきます。蓬莱さんが、僕にあてて台本を書いてくれたこともあって、今までに演じて積み重ねたものを生かしつつ、自分の子どもたちのことを投影したりとか、実人生での体験も反映させながら、お芝居をしています。

歌はミュージカルの曲とは違って、基本的に歌詞がなく、あーという声で歌っているだけです。蓬莱さんは「セットは簡素だけど、音楽はすごく荘厳にしたい」と言われていて、面白いなと。それで音楽の阿部海太郎さんが、ローマ・カトリック教会で歌われるグレゴリオ聖歌みたいなテイストの曲をつくってくれました。その曲がすごいのは、どこから歌ってもいい構造になっていること。ミュージカルなら、前奏4小節あって入るとか、この箇所まで待ってセリフと合わせて入るとかなのですが、この曲の場合は、自分の好きなところで歌い始めて、歌い終わることができます。お芝居のなかで自然に歌い出せるのも、そういう音楽のからくりがあるから。その曲のバージョン違いがいろんな場面で使われていて、音楽も作品の世界観をつくる重要な役割を果たしています。

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演技スタイルの違いも役の設定に反映