日経ナショナル ジオグラフィック社

2021/4/23

「バッタの大群はあちこちで頻繁に発生するものではありません。メーカーは、使用される機会が少ない製品は作りたがらないのです」。英国の科学者で、FAO殺虫剤審査グループの設立者であるグレアム・マシューズ氏はこのように説明する。大群が襲来したときには「生産を待っている暇はありません。在庫からすぐに入手したいと思うでしょう」

 こうした理由から各国政府は、大手農薬メーカーが大量生産する、効果の対象が幅広い有毒な化学殺虫剤に頼っているのが現状だ。

夜明けに農地を横切ってケニア山の森林に向かうサバクトビバッタ。上空から撮影(PHOTOGRAPH BY DAVID CHANCELLOR)

影響の程度は不明

 現地の農家や牧畜業者、科学者、自然保護活動家たちが特に懸念しているのは、ケニアで広い範囲に散布された殺虫剤がどのような害をもたらしたかについてほとんど明らかになっていない点だ。ある米国政府の環境評価では、この地域のバッタ防除活動について「環境と人間の健康に重大な悪影響を及ぼす可能性がある」と警告されている。また世界銀行による調査では、環境リスクは「相当な」と評価された。

 今回の防除活動が始まって1年以上が過ぎたが、薬剤散布の環境への影響に関するFAOの評価はいまだに公表されていない。

「送粉者への影響が特に心配です」と、ケニア生物多様性・生態安全性協会のアン・マイナ氏は話す。氏が知る農家の人々は、ハチミツとマンゴーの収穫量が減っているのはハナバチがいなくなったからだと考えている。昆虫学者でケニア、ムパラ研究センター所長のディノ・マーティンス氏もこうした懸念を感じているが、モニタリング情報がないため、実際に何が起きているのか知ることができないという。

「ケニア北部および拡大アフリカの角(GHR)は、世界でも有数のハナバチの多様性に富む地域です。数千種が生息していますが、その多くはまだ解明されていません」とマーティンス氏は話す。「バッタを防除すると同時に、この乾燥地帯の脆弱な生物多様性を保護できる手段を開発する必要があります」

 FAOが2003年に作成した安全・環境対策に関するガイドラインでは、空中散布は地上散布よりも人体への影響は少ないとみられるが、生態系を汚染するリスクがあるので「環境面への懸念が高くなる」ことが多いとされている。

 FAO環境評価チームのリーダーであるムティア氏の話では、地上散布のスタッフはさらに訓練を受けて上達したうえ、地元コミュニティーに対しては住民や家畜にもたらすリスクの情報提供を向上させたという。大群が襲来した当初の数週間よりも、現在のケニアのバッタ駆除活動は改善している。

重要な報告書はなぜか公表されず

 だが2020年9月に完成したムティア氏の環境・健康モニタリング報告書はまだ公表されていない。その理由ははっきりしない。FAO側は「報告書はケニア農務省から発表される」と述べる一方、農務省の広報担当者は「FAOがまだ報告書を提出していない」と話している。

 取材に対してムティア氏は、自身がまとめた散布に関する評価において「警戒すべき要因」は見つからなかったと話している。

 しかし、ナショナル ジオグラフィックが入手したこの報告書のコピーには、サンブル地区で重大な過剰散布が行われたことや、散布地域の住民とのコミュニケーションが広範囲で欠如していることなど、より詳細で憂慮すべき内容が記されている。

 調査した13地点のうち4地点では、サバクトビバッタの死骸がまったく見つからなかった。散布の効果がなかったか、または調査チームが適切な場所を訪れなかったことがうかがわれる。また、調査チームに誤った位置情報が何度も伝えられたり、遠隔地に迅速に移動できるヘリコプターや車両を利用できなかったりしたことも報告書は伝えている。

「私たちは、殺虫剤散布の悪影響を監視するシステムがないままにバッタ防除活動が進められていることを特に憂慮してきました」とケニア、ナイロビ大学の動物科学者ラファエル・ワホーム氏は話している。FAOが把握している情報は研究者やその他の関係者に公開されるべきだと氏は言う。「(殺虫剤が)使用された場所で何が起きているのか、私にもよくわかりません」

(文 TRISTAN MCCONNELL、写真 DAVID CHANCELLOR、訳 稲永浩子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2021年3月27日付の記事を再構成]

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