
2019年末、アジアに生息する世界最大の狩りバチであるオオスズメバチ(Vespa mandarinia)が、カナダのブリティッシュ・コロンビア州南部と米ワシントン州北西部で見つかった。
米ニューヨーク・タイムズ紙は「殺人スズメバチ(murder hornets)」と表現し、話題となった。大半の昆虫学者にとっては使ったことも聞いたこともない呼び名だったが、たちまち独り歩きしてしまった。
オオスズメバチは、発見場所の近くで暮らす人々にとっては現実的な問題だ。攻撃性があり、巣を脅かされれば相手を刺すこともあると、米アリゾナ大学の昆虫学者ジャスティン・シュミット氏は説明する。人が刺されるとかなり痛いうえ、死ぬこともある。
20年7月、ワシントン州当局は北西沿岸部のバーチベイで生きたオオスズメバチを初めて捕獲した。過去に目撃された場所から近く、この辺りに巣があることを示唆している。
在来種が勘違いで駆除される
米国にとって外来種であるオオスズメバチはワシントン州の1つの郡でしか目撃されていない。にもかかわらず、全米で多くの人が在来種のスズメバチをオオスズメバチと勘違いしている。「スズメバチ駆除スプレー」をはじめとする殺虫剤のネット検索回数は1年前より大幅に増加し、全米各地の昆虫専門家のもとにはオオスズメバチに関する問い合わせが殺到している。
ワシントン州農業局の昆虫学者クリス・ルーニー氏は、「殺人スズメバチ」に対する根拠のない恐怖から、全米で多くの無害なハチが殺されているのではないかと危惧している。
オオスズメバチへの反応は、昆虫に関する人々の知識が著しく欠如している証拠だと考えているのは、米ワイオミング大学で人文・自然科学の教授を務める昆虫学者のジェフリー・ロックウッド氏だ。氏は『The Infested Mind: Why Humans Fear, Loathe, and Love Insects(昆虫に取りつかれた心:なぜ人間は昆虫を恐れ、嫌い、愛するのか)』などの著書がある。
特に米国では、「私たちは昆虫について驚くほど無知になりました」とロックウッド氏は話す。「私たちは危険な虫、無害な虫、有益な虫の区別もつきません。おそらく普通の子どもは、昆虫より車やスーパーヒーローを見分けるほうが得意だと思います」
こうした知識不足は昆虫と私たち自身のどちらにも悪影響をもたらすとロックウッド氏は述べる。昆虫は作物への授粉、害虫の駆除、廃棄物の分解など、いくつもの有益な役割を果たしているからだ。
これほど有益な昆虫たちが世界中で苦境に陥っていることはあまり知られていない。学術誌「Biological Conservation」の19年4月号に掲載された論文によれば、全昆虫種の40%が減少傾向にあり、数十年以内に絶滅する恐れがあるという。
生物全体の数からしても、これはかなり大きな値だ。動物の60~70%程度が昆虫であることを示唆する研究もある。そのうえ、まだ発見されていない昆虫も無数に存在すると推測されている。