「のれんのように取り外しできるようにすればいいのではないか」

仕切った内側に洗い場も置けば、温泉からの湯気の効果で内側が暖かくなり体を洗うときも寒くないはずだというわけです。これならば、仕切りの外側ではこれまで通りの眺めを楽しむことができます。大浴場は湯船をはさんで両側に洗い場があるつくりであり、巨大な仕切りがあれば1枚で洗い場も湯船も分けられます。

ではどんな仕切りにしたらいいのかと具体的に考え始めると、課題がいくつも見つかります。事件の解決はなかなか一筋縄ではいかないのです。例えば、仕切りを入れるとその分、奥行きがなくなるため、これまでとまったく同じ風景は見えなくなります。これに対して、マーケティングチームのスタッフからは「仕切りは固定式にする必要はない。のれんのように取り外しできるようにすればいいのではないか」というアイデアが出てきます。星野代表、池上総支配人らはある日、宿泊客が大浴場を使わない夜中の1時から3時に実際にのれん風の仕切りを自分たちでつくり、内側の室温を保てるかどうかをチェック。方向に間違いがないことを確信します。

ただ、ここまできても、まだ大きな課題が残っていました。それは温泉旅館の大浴場としての見栄えです。「内側からはのれんを見ることになる以上、しばらく見ていられるものにしなければならない」のです。

試行錯誤を繰り返してたどり着いたのが、絵柄の美しい型染め作家に箱根の歴史的な旅路を描いてもらうことでした。昔の東海道の箱根湯本付近を大名行列が通る様子を基本イメージにしながら、遊び心も入れてもらうデザインです。絵のあちこちには箱根の寄せ木細工のほか、ロープウエーや遊覧船、界箱根など現代の乗り物や建物の要素もあり、のれん自体を楽しんで見てもらう工夫を取り入れた。よく見ると、箱根駅伝のランナーまでがのれんに描かれています。

界箱根は冬場にオリジナルの「のれん」を設置。1年を通じて顧客満足度が高くなった(写真=栗原克己)

こうしてでき上がったのれんを冬シーズンから設置をスタート。のれんの内側では描かれた絵を堪能しながら湯につかり、のれんの外側に出れば自然の風景を楽しめます。宿泊客からは「冬も快適に温泉につかることができた」という声があったほか、「のれんの絵を楽しんだ」という声がいくつも聞かれました。その結果、冬場の顧客満足度が一気に向上。「気温が下がると顧客満足度が下がる」ことはもうなくなりました。のれんの設置は冬だけであり、春から秋はこれまでどおりの「キラービジュアル」の眺めも楽しめます。こうして界箱根の顧客満足度は1年を通じて高まりました。

コロナ禍でサービスの在り方を見つめ直すなか、「事件」を生かす視点や取り組みはますます求められことでしょう。

(日経ビジネス副編集長 中沢康彦)

星野リゾートの事件簿2 なぜお客様は感動するのか?

著者 : 中沢 康彦
出版 : 日経BP
価格 : 1,980 円(税込み)

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