2021/3/13

震災10年・離れて今

――逆境の中で物理五輪の代表になるための準備はどうされましたか。

「3月末に東京で合宿があって、そこが代表の最終選考の場でした。過去問は紙に印刷していたので、日が出ている間はそれで勉強して、日没後は寝る、そんな感じでした。電気がないのは本当に不便です。夜、窓の外をみると電気が戻っている地域があるのに、自分のところには電気が来ない日が続いていて、1週間以上たって復旧したときは、本当に助かったと思いました」

「東京へは仙台駅まで車で親に送ってもらい、バスで向かいました。合宿が終わって、電話で代表決定の連絡をもらったときは『よかった』と。絶対『金』がとれるほどの力は自分になかったので、できるだけいい結果を出せればと、大学受験のことは気にせず、それまで通り(物理五輪に向けて)勉強しました」

――物理五輪の開催地だったタイのバンコクではどう過ごしましたか。被災地の期待もあったかと思いますが。

「できるだけ海外の人と交流しようと、積極的に話しかけたり、懇親会でダンスしたり。(震災が話題になった際には)外国の生徒にも自宅前の写真を見せました。かなりびっくりされましたね」

「本家本元のオリンピックではないので、自分はとくに(被災地の期待を)意識してはいませんでした。周囲がそういうことを表に出さずにいてくれたのも、ありがたかったと思っています。その中でよい結果が出たことは何より自信になりました。大学に入ってから、より自発的に活動するようになれたのも、そのおかげがあったと思います」

ことあるごとに地元を意識

――進学のため上京し、故郷への思いは変わりましたか。

「ことあるごとに地元を意識するようになりました。地元のニュースを見るようにしたり、スーパーで地元のものをついつい買ってしまったり。帰省の際も、震災後にそのまま更地になってしまった場所をみると、やっぱり気になるんですね」

「地元の景色に安心感を覚えるようにもなりました。たとえば自宅の最寄りにある本塩釜駅に着いたときの安心感は、いま住んでいる東京で感じるものとは違うなあと思います。普通の駅だし、ちょくちょく改装して、見た目は変わるんですが」

佐藤さんの「自撮り」写真(2021年3月)

――東京大学理学部から大学院に進み、18年3月に情報理工学の修士号を取得。そのまま就職の道を選ばれました。どんなお仕事ですか。

「引き出しの開閉やノックなどの音をマイクで拾って信号処理し、AI(人工知能)が周囲の状況を把握できるようにするような技術に取り組んでいます。今の職場は、大学でやるのに近い研究をしつつ、実際の製品として世に出すところまで考えるので、自分に向いていると思っています」

「コロナ禍で難しくなっている人と人のコミュニケーションを助ける技術もつくりたいなと、考えるようになりました。自分がつくり出したものを、多くの人にいいなと思ってもらえたら、僕としてはそれが一番です」

――佐藤さんにとって物理学など「サイエンス」とは何でしょうか。

「自然に対して誠実であることを教えてくれるものです。どんなにきれいな理論でも、自然界の現象にあっていなければ意味がない。あくまで自然が先で、それを受け入れながら体系だてていくことが重要で、それが面白いと思っています」

――物理の本、おすすめの一冊は。

「専門書になってしまうんですが、ホーキング博士の『The large scale structure of space-time』。大学の物理学科時代に読んで、数学的なツールを使って物理を解き明かす手法のカッコよさにひかれました」

(聞き手は天野豊文)