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古代「史記」 偉人の出世学

2021/2/28

古代「史記」 偉人の出世学

そしてここに、私には歴史上で最悪の人物の一人とも思える趙高(ちょうこう)が登場します。始皇帝の日常の世話をする宦官(かんがん)ですが、彼を抑えることができなかったのが李斯の限界であり、悲劇の発端でした。

始皇帝は末っ子の胡亥(こがい)、李斯、趙高を従えた地方視察の途中で病み、急死します。始皇帝は死の直前、長子の扶蘇(ふそ)と彼を支える将軍の蒙恬(もうてん)に後事を託す書簡を残しました。始皇帝は自分に直言する扶蘇を遠ざけ、胡亥をかわいがっていましたが、最期の判断はさすがです。
 これを預かったのが趙高でした。趙高はまず胡亥に書簡のことを伝え、これが扶蘇の手にわたれば、やがて失脚させられると説き、御璽(ぎょじ=皇帝の印章)を使って自ら即位するよう求めます。「小を顧みて大を忘るれば、後必ず害あり」「断じて敢(あへ)て行へば、鬼神(きしん)も之(これ)を避け、後成功あり」などと殺し文句を並べ、最初は消極的だった胡亥を同意させます。
 趙高は次に李斯の説得にかかります。李斯の蒙恬に対するライバル心を刺激し、胡亥の人物を褒めたたえ、臨機応変にふるまうメリットをとうとうと述べます。李斯はくり返しはねつけますが、趙高が「従わなければ災いは子孫に及び、心が寒くなるほどです。身の処し方が善い者は災いを福にしますよ」と語り、「君何(いづ)れかに処(を)る(あなたはどちらの居場所を選ぶのか)」と迫ったとき、天を仰いで涙します。
  (いづ)くにか命を託せんや。
 どこに自分の命を託したらいいのだろう――。李斯は自分の身の置き場所を考え、企てを受け入れてしまいます。
イラスト・青柳ちか
 共犯者となった3人は始皇帝の死を秘したまま、扶蘇には蒙恬とともに自害するよう求める偽の書簡を送ります。始皇帝が軍功の乏しさなどを責める内容で、2人は最終的に死を選びます。
 胡亥が皇帝に即位すると、趙高は家臣が皇帝に接するのを制限するようになり、皇帝の意向は趙高の口から語られるようになります。低い身分からのし上がった彼は、刑を厳しくして高位の重臣らを次々に罰します。
 李斯も例外ではありませんでした。趙高は、李斯が皇帝への謁見を求めても、わざと難しいタイミングを伝えて実際には会わせず、地方長官に出世していた李斯の長男が反乱軍に通じているなどと皇帝にふき込みます。李斯は皇帝に上書して趙高批判に転じますが、それがもとで投獄・拷問にあいます。獄中では、皇帝に諫言(かんげん)し、冤罪(えんざい)を訴える書簡をつづりますが、それも皇帝に届くことはありえず、李斯一族は極刑を受けることになりました。史記は死を前にした李斯が次男を振り返って語った言葉を記しています。
  吾、若(なんぢ)と復(ま)た黄犬を牽(ひ)いて倶(とも)に上蔡(じやうさい)の東門を出で、狡兎(かうと)を逐(お)はんと欲(ほつ)すとも、豈(あ)に得(う)(べ)けんや。
 私はお前とまた、あの黄色い猟犬をつれて、ふるさと上蔡の東門を出て、すばしこいウサギを追いたいけれど、もうできないなあ――。

やがて趙高は皇帝の胡亥をも計略によって自害に追い込み、玉璽を手に自ら昇殿して即位しようとします。彼の真の狙いがみえた瞬間ですが、周囲がまったく従わない当然のことにはじめて気づき、やむなく始皇帝の孫、子嬰(しえい)に玉璽を渡します。即位した子嬰は趙高を警戒し、やはり一族もろとも滅ぼしました。その子嬰も、都に侵入した反乱軍の劉邦(りゅうほう、のちの漢の高祖)に捕らえられ、項羽(こうう)によって殺されます(「一芸の天才は怖くて甘い 史記が描いた英雄・項羽」参照)。

同情できない理由

司馬遷は「李斯列伝」の末尾で「李斯は高い学識をもちながら主君の足りない部分を補うことにつとめなかった。高い位と報酬を得ながら、主君に調子を合わせ、権威を高め刑を残酷にし、趙高の邪説を受け入れ、本来の皇位継承者の扶蘇ではなく胡亥を立てた。反乱が起きてから諫言しようとしたのも遅すぎる」と厳しく指摘しました。そして、忠義を尽くしたのに冤罪で終わった人物として同情の声があることにふれつつ「其(その)本(もと)を察するに、乃(すなは)ち俗議と之(こ)れ異なり(李斯の「本」を察すれば、世の中の見方には異議がある)」と書いています。

「本」とは本性、あるいは根本のことです。彼が刺し違えることもできたであろう趙高に屈した理由も、そこにあるように思えます。いまの時代でも、形式上どれだけ偉くなったか、あるいは肩書がどうか、つまり「居場所」が重視されることが多いのですが、それなりの地位に就いた人物であれば、自分の居場所ではなく、世の人々や部下にどんな居場所をつくるのかを行動の基準にしなければいけないということでしょう。李斯は最後まで、自分や家族にとってプラスの居場所にいることを最優先していたようにみえます。趙高の専横で国そのものが危ういとき、最期に残した言葉が小市民的な楽しみへの未練だったのは象徴的でした。

吉岡和夫
1939年(昭和14年)千葉県生まれ。横浜国大経済卒。東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に30年間勤務。書家の古谷蒼韻氏に師事。雅号は「泰山」。中国「司馬遷史記博物館」(2016年開館)の顧問も務める。著書に『史記を書く』(1996年)、『毒舌と名言の人間学』(2005年)など。名古屋市在住。

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