写真家はただ記録するだけでなく、もっと込み入った要請に応えなければならなかった。20年には人々の行動範囲が制限されたため、写真が切実に求められた。都市封鎖や人との距離の確保、感染への恐怖が、社会的な交流の形を変えたからだ。職場の会議から文化系のイベントまで、あらゆるものがデジタル形式に変わり、生活のかなりの部分が画面上に移行した。人々が突然、孤立状態に陥ると、ネット上の写真の流れが生活に欠かせないライフラインとなった。
こうした状況下で写真を撮影し、共有するには、技術だけでなく、体に気をつけることも求められた。歴史的な出来事を記録する使命に駆り立てられていても、まずは自分の体を守らなければならない。ジャーナリストであっても、ほかの人々と同じように行動を制限され、動き回れば感染のリスクがあったからだ。
さらに、カメラを向ける相手への倫理的な配慮も求められた。コロナ禍のさなかでは誰も安全ではなく、誰もが不安を抱えている。それでも冒頭の新婚カップルのように、誰もが前に進む方法を模索している。それを理解したうえで、撮影に臨まなければならない。
大量の写真が世の中にあふれるこの時代、後世の歴史家のために資料を収集するには恵まれた環境が整い、豊富な記録が残され、数々のストーリーが伝えられるだろう。2020年が終わっても、ウイルスは姿を消したわけではない。人間社会に定着し、あらゆる国、あらゆる都市の歴史の一部となる。
私たちは先が見えないこの時代をどう生きればいいのか。20年は予定が次々に中止になり、制限だらけの暮らしへの適応を迫られた年だった。マスクを着用し、親きょうだいともオンラインでつながり、新学期の始まりを控えて、新型コロナに対応する授業形式が大急ぎで準備されるなか、親たちは子どもを学校に送り出すべきか否かの決断を迫られた。人との距離の確保が求められる時代に、人々はどんな家庭生活を送ったのか。この分野の写真も状況の変化を伝えている。
問題の根源を探っていくと、「信頼」という言葉に突き当たる。新型コロナウイルスは無症状の人からも感染する。誰からうつるかわからないし、自分も誰かにうつしているかもしれない。そうなると、誰とも安心して付き合えなくなる。
20年の出来事や人々の暮らしを、レンズを通して見つめるのは困難な仕事だった。倫理的にも、移動の自由や物資面でも、感情的にも。だが目をそらすわけにはいかなかった。なぜなら、私たちには記録する責務があるのだから。それに、見ること、解釈すること、理解しようと努めることは、人間の営みだからでもある。
いつか気づくかもしれない。20年は私たちに「見ること」を教えてくれた、と。

(文 シッダールタ・ミッター、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年1月号の記事を再構成]