貧富の差は仕方がない? 前提で変わる演繹思考のワナ
第19回 演繹思考
この文章、どこかおかしくないですか?
世界中を席巻したコロナ禍では、貧富の差がそのまま命の差になったと言われています。アメリカをはじめ世界の多くの国で、富める者と貧しい者とで死亡率が大きく違っていたのです。
そもそも、アメリカでは巨額の報酬をとる企業経営者がいる半面、ホームレスをはじめ最低の生活もままならない貧困層がたくさんいます。年収にして1000倍以上の格差があり、そんな社会は到底許されるものではありません。
この文章を読んで、何の疑いもなく「なるほど」「たしかにそうだ」と納得した方が多いかもしれません。もし、そうだとしたら、もう一度じっくりと読み直して、どこかおかしな点がないか探してみてください。でないと、この先、私にだまされてしまいかねないので……。
新入社員研修でこの問題を出すと、一番多い答えは「格差が問題ではなく、収入の絶対値が低いことが問題である」というものです。たしかにそれもありますが、絶対値が高ければ格差は問題視しなくてよいのでしょうか。
そうやって議論していくと、許されない理由がどこにも書かれていないことに、いずれ気づきます。論拠となる原理や規範がどこにも示されていないのです。暗黙の前提として省略されており、「論理の飛躍」になってしまっています。
たしかに、「平等」という価値に重きをおけば、これほどの格差は許すべきではありません。逆に「自由」を重要視すれば、その結果としての格差は仕方がないことかもしれません。どちらの規範を掲げるかで結論が変わってきます。これが今回紹介する「演繹(えんえき)思考」の典型的な用法です。