靴はカジュアルな茶色のオックスフォードタイプを好んではいていた。てっきりワークシューズかと思ってまねをしてアメリカ製のオックスフォードタイプのワークシューズを買って履いたりしたものだが、おそらくあれは当時まだ日本であまり知られていなかった「J.М.ウエストン」のゴルフだったに違いない。足を組んだ時にチラリと見えるソックスがエンジ色のホーズソックスというところも、まさにフレンチアイビーのお手本である。
自分が着たい服をそろえていた「ケンゾーオム」
この格好でよく着ていたのが千鳥格子柄のジャケットである。コンサバなジャケパンスタイルでも、首元に大判の上質なストールを無造作にぐるぐると巻いたりしていた。こういういかにもパリジャンらしい着こなしは、簡単なようで実は日本人にはなかなかまねができないテクだ。

そんな高田賢三氏の私服のセンスをカタチにしたのが、当時発表されたばかりの「ケンゾーオム」である。モードなレディースのコレクションと違ってケンゾー自身が着たい服で、ネイビーのブレザーや、きれいな色のタータンチェックのパンツといったトラディショナルなアイテムをそろえていた。そこにヴィヴッドなパープルやコバルトブルーの遊び心がある細身のタイを合わせたりするところも、いかにもケンゾーオムらしかった。
筆者もライザミネリ風のダンサーの刺しゅうが小さく入ったケンゾーオムのパープルのタイを持っていたが、これがフレンチアイビー初心者の若造にはなかなかに手ごわくて、ちっとも上手に着こなせなかったのを覚えている。
ちょうどこの頃のパリの街には、「エミスフェール」、「オールドイングランド」、「マルセル・ラサンス」、「アニエスb」といったブランドやショップが続々とオープンして、まさに時代はフレンチアイビー、フランス版プレッピーのBCBG(ボンシック・ボンジャンル)ブームを迎えていたのだ。
今回はつらつらと筆者の高田賢三氏への想いを勝手に書きつらねてしまいました。最後に、もう一度言わせてもらうぞ。偉大な才能を次々と奪ってしまうコロナがつくづく憎い。
Adieu! ボクのフレンチアイビーの師匠ケンゾー!

1961年静岡生まれ。コピーライターとしてパルコ、西武などの広告を手掛ける。雑誌「ポパイ」にエディターとして参加。大のアメカジ通として知られライター、コラムニストとしてメンズファッション誌、TV誌、新聞などで執筆。「ビギン」、「MEN’S EX」、JR東海道新幹線グリーン車内誌「ひととき」で連載コラムを持つ。
SUITS OF THE YEAR 2021
アフターコロナを見据え、チャレンジ精神に富んだ7人を表彰。情熱と創意工夫、明るく前向きに物事に取り組む姿勢が、スーツスタイルを一層引き立てる。