かつて「Tehu(てふ)」として「バズる=ネット上で大きな話題となる」ことを求めていた張惺(ちょう・さとる)さん(25)へのインタビュー後編。2014年の「小4なりすまし事件」が批判を浴びて「Tehu」からひとりの大学生に戻った張さんが何を思い、今はどんな未来を描いているのかを聞く。(前編は「『小4なりすまし事件』大炎上6年、いまSNSに思う」)
心地いい情報で自らを囲む危険
――慶応義塾大学1年生の秋に友人と起こした「小4なりすまし事件」の後、2年間の休学を経て復学しました。どんな時期でしたか。
「大学に入学はしたものの、実は自分が何をしたいのか分からなくなっていました。それで1年生も終わりの3月から休学したんです。大学に戻ったときに入ったのが鈴木寛教授(現在は東大教授を兼任)の研究室で、演劇やオペラをテーマに学びました。卒論は19~20世紀のオペラの中に現代社会と同じ問題をあぶりだせるのではないかとの意識で執筆したのですが、考えているうちに現代は『何かを伝えたい』ということがもはや機能しない時代なんだ、と思い当たりました」
「SNS(交流サイト)にある『フォロー』という非常に基本的な機能は、自分が興味あるものの情報を画面上にまとめる仕組みです。人は自分の見たいものしか見ないところがあるので、その限られた情報の中でも心地いいもののみを取り入れ、自分と異なる考えは『偏向している』と切り捨てる。そうなると人は自分が興味のないことについて問うことがだんだんできなくなり、(聞く耳をもたない相手に)異論を示して問いかけることも意味を失います。つまり『問いは死んだ』のだ、と」
――何かを「伝える」ということは「私はこう思うが、それであなたはどうか」という問いにつながっています。それが機能不全になっていると感じた事例はありますか。
「『小4なりすまし事件』がまさにそうだったと気づきました。衆院解散の目的を問うサイトを開設するだけでは注目されないと考え、サイトの作者を明らかにしないまま、小学4年生になりすましてしまいました。その手法に非があったのは間違いなく、本当に反省しています。ただ、あの当時、最も残念だったのは、小4は誰かという点だけが取りざたされ、解散の是非についての建設的な議論がまったく起こらなかったことでした。我々が提起したかった問題は問われなかったのです」
――SNSの中とはいえ「問いは死んだ」という状況では、議論そのものが成立しなくなる可能性がありませんか。
「社会変革は、考えの違う人がいることを前提に、互いに問いかけ、説得したり、されたりしながら進展するものだと思います。過去を否定せずに、うまく内包しながら、新しい考えをつくり、浸透させていく。だから問いが機能しない状況下で社会を変えていくのは難しいですよね」
「僕は小4事件のあと休学し、モヤモヤした思いを抱える中で(リーダー育成研修を手掛ける)チームボックスという会社に携わるようになりました。そのときはどうしてこの会社の仕事に興味を持ったのか、自分でも分かっていませんでした。でも、改めて考えてみると、リーダー育成という事業は、問う側と問われる側が1対1で向き合い、考え続けることなんです。思い返すと、自分は問いが機能する場所を探していたんだと思います」
――問うことの大切さは、リーダー育成に限りません。問いが機能する社会を守る方法はありますか。
「今は『1対1』の問いを『1対多』でもできないか、それを人間ではなく何らかのシステムによって生み出せないかと、ずっと考え続けています。例えばコンピューターから『こういう選択肢もあるのでは』と問いを投げかけられることで視野が広がり、人間がよりよい判断ができる仕組みを作りたい。あくまでコンピューターが人間を補助する形で」