オンライン学習講師・伊藤賀一さん プロ意識、父から

2020/8/7

それでも親子

いとう・がいち 1972年京都市生まれ。東進ハイスクールや秀英予備校などを経て、現在はオンライン学習サービス「スタディサプリ」講師を務める。著書に「『日本が世界一』のランキング事典」など。
いとう・がいち 1972年京都市生まれ。東進ハイスクールや秀英予備校などを経て、現在はオンライン学習サービス「スタディサプリ」講師を務める。著書に「『日本が世界一』のランキング事典」など。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はオンライン学習講師・著述家の伊藤賀一さんだ。

――オンライン学習の講師など仕事に臨む姿勢はお父様の影響が大きいそうですね。

「父はサービス業で賓客をもてなすマネジャー職を務めていました。仕事に対する真剣さはもちろんですが、常に周囲に気を使い、スーツの着こなしなど服装への気配りも欠かしませんでした。街を歩いても多くの知り合いに声をかけられるとあって、プライベートでもそのスタイルは徹底していました。父の持つそうしたプロ意識から受けた影響は絶大です」

「私も人前に出て話す仕事なので所作や身だしなみには自然と気をつけるようになりました。例えば若いときも奮発してすし店に行きマナーを体得しました。服装についてもこだわりが強くなり過ぎてスーツは全部オーダーメードにしています」

――教育方法もユニークとうかがいました。

「父のモットーは『人生は走る、泳ぐ、戦う』。幼いころから様々なトレーニングを課されました。家に入る前はスクワット、台所と居間を行き来するときは欄間で懸垂をしなければなりませんでした。休日はトレーニング漬け。鉄アレイやエキスパンダーを使った運動、木刀やバットの素振りを命じられました。劇画『巨人の星』に登場する『星一徹』ですよね。大変でしたが、おかげで体力には絶対的な自信があります」

「私も周りからはおしゃべりだと言われますが、両親もそうでした。とはいえ父は威厳のある存在。対等な感じで話しかけるのはためらってしまい、ため口で話したことはありません」

――教育界に進んだのもご両親の影響でしょうか。

「運動神経が抜群の父と苦手な母。一見、正反対ですが、両親とも『これは許せない』という善悪の判断基準は共通していました。『自分が大切な人をいつでも助けられるようにしておきなさい』『自分の力で食べていけるかどうかを大事にしなさい』と教えられました。大学卒業後に予備校講師になったのも自分の腕一つで勝負ができると思ったからです」

「両親の教えは仕事の原動力にもなっています。特に、誰からも好かれていた父のようになりたい。そう思ってがむしゃらに働いてきました。ここまで父の影響が強い息子も今どき珍しいですよね」

――43歳で早稲田大学に入ったのも、ご両親に対する思いがあったそうですね。

「両親は経済的な理由などから大学進学を諦めています。進学にとやかく言われたことはなかったのですが、18歳のとき早大受験に失敗したのが心の片隅に引っかかっていました。大隈講堂を両親に見せてあげたい……。一般受験で合格して今も在学中なのですが、25年越しの夢が実現しました。少しは親孝行ができたかなと思います」

[日本経済新聞夕刊2020年8月4日付]