挫折は方向転換のチャンス 神田玲子さん
NIRA総合研究開発機構理事(折れないキャリア)
40代半ばで自ら志願して内閣府からシンクタンクの総合研究開発機構(NIRA)に移った。当時、課長。さらに上のポストへ登るより、自分にしかできないと思える仕事をしたかった。「優れた学者を探し、議論の場をつくり、世界への発信力を高めていきたい」
20代の頃から自分が表舞台に出るよりも、人の意見を聞き、その良さを引き出すのが好きだった。経済企画庁で審議会の議事録を書きながら、この国を良くしたいと真剣に考えている人の発言に感銘を受けた。終電まぎわの電車で帰る日々も苦しくなかった。
25歳で結婚し、29歳で出産。子育ては自分で抱えずできるだけ他人の手を借りた。給料のほぼ全てがベビーシッター代で消えた。
何を優先し、何を諦めるか。働く母親はそのときどきで選択を迫られる。33歳のとき4歳の息子を日本の家族に預けて米ノースウエスタン大に留学。「要領よく物事がこなせない」と連れて行くことを諦めた。
「さまざまな出会いがあり、今の自分がある」と話す。日本では初心を貫くことが美徳とされるが、留学先の仲間は失敗したと思ったら、すぐに進む道を変えた。彼らと過ごすうちに、「挫折は方向転換のチャンス」と考えるようになった。
「もっと反論しなさい」。働くうえで転機になったのは、世界平和研究所(現中曽根康弘世界平和研究所)に出向している時に出会った政治学者の佐藤誠三郎さんのひと言だ。論文を発表した後、呼び出され、「他人から『あなたの意見は違う』と言われたときに、簡単に『はい』と言いすぎる」と指摘された。
穏便にとりまとめようと、人との争いを避けていた自覚はあった。佐藤さんは「自分の言葉にもっと責任を持ちなさい」と伝えたかったと気がついた。以来、ここぞというとき、明確に反論するようになった。「マニュアル車のギアチェンジのように声のトーンが変わり、目つきも鋭くなる」
様々な学者を交え、社会保障や財政健全化などの政策提言づくりに携わる。意見の違いを尊重しながら合意点を探る。仕事の中に自分らしさを少しずつ埋め込んでいく作業が楽しい。この楽しみを味わうため、後輩には「30代までに『この人に仕事を任せたら大丈夫』と信頼される存在になってほしい」とエールを送る。
(編集委員 大岩佐和子)
[日本経済新聞朝刊2020年7月27日付]
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