西表島独特の塩づくり 100年ぶり復活までのドラマ魅惑のソルトワールド(43)

東洋のガラパゴスと称される西表島
東洋のガラパゴスと称される西表島

沖縄県八重山諸島の1つで、沖縄本島に次いで2番目に大きな離島である西表島。この島では古くから独特の製法で塩が作られていたが、いつしか途絶えてしまった。それが約100年ぶりに復活するに至るまでのドラマを今回は紹介したい。

石垣島からフェリーで約40分ほどの場所に位置するこの島の人口は2300人ほど。周囲約130キロメートルの島の面積の約9割が手つかずの亜熱帯性の原生林に覆われている。島内には、国の天然記念物にもなっている日本最大のマングローブ林が群生し、森には天然記念物、イリオモテヤマネコやカンムリワシ、セマルハコガメなどの希少生物が数多く生息し、独自の生態系が築かれ、それらを目当てに島外から多くの人がやってくる。

豊かなのは緑や生き物たちだけではない。川などを通じて流入した大地のミネラルが、美しく豊かな海を育てると言われているが、まさにその通り。豊かな自然に恵まれた西表島周辺の海域には、日本最大の珊瑚(サンゴ)礁域が広がる。晴天の夜には夜空を星が埋め尽くし、まさに「星の数ほど」という表現がぴったりくる。手つかずの自然や独自性が、「東洋のガラパゴス」とも称されるゆえんだ。

塩は元来、調味料としてだけでなく、人間の生命維持にも欠かせない。この島でも塩づくりが行われてきた。島の奥地に位置する祖納地区では、約100年前まで海辺で塩づくりが行われていた痕跡が残る。口頭伝承で文献はないが、製塩方法は独特だったようだ。

まず、遠浅の海の中に鎮座する巨大な岩が、強烈な太陽の力で熱せられる。そこに海水をかけ、蒸発させて濃縮塩水を作るのだ。その後、濃縮海水を森の中にある崖の下まで運び、薪で釜を炊き、ぐつぐつと煮詰め塩にしていたらしい。約100年たった今でも、高温の薪の熱に長い間さらされ続けた岩肌には、火のあとがくっきりと残るのが確認できる。

海岸から約20メートル離れた遠浅の海の中に鎮座する高さ約2メートル・長さ約10メートルの巨大な岩に上ってみた。上部はまるで天然のプールのよう。少しくぼんでおり、岩と岩の微妙なズレの部分が濃縮海水が流れ出るちょうどよいルートになっていた。

それなりの高さなので、海水を桶(おけ)でくみ、持ち上げて岩にかけ、濃縮された海水を再び桶で海岸まで運ぶ作業は、とてつもない重労働だったに違いない。まして、炎天下での作業なら、その負荷は計り知れない。

この製法では、さすがに生産量が少なく、島内の塩需要を満たすのが難しかったのだろう。島外から流入してくる塩を徐々に購入するようになり、約100年前に製塩が途絶えてしまった、と考えられている。