どんなダイエットにも落とし穴 栄養疫学のアドバイス
ケンブリッジ大学 医学部上級研究員 今村文昭(8)
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引き続き、今村さんの目から見た「食事パターン」をめぐる健康情報について。
まずは「低炭水化物ダイエット」
「たとえば糖尿病は社会的にも問題とされる疾患ですが、それだけに着目した欧米中心のエビデンスに頼り、白米は駄目で、低炭水化物食とか低糖食がいいんだと推奨しがちの人が多いという印象です。そして、主張する人ごとに内容はまちまちです。ソフトドリンクや砂糖、シロップなどのことを問題にしていたり、白米のような食品をダメと言う人がいたり、本当に炭水化物の摂取源全部が駄目と言う人もいます。そのうえで、代わりに何を食べるかというと、『栄養価の高いもの』を推奨する人がいたり、なんでも食べていいよと言う人もいたり、加工食品は避けたほうがいいよと言う人もいて、バラバラなんですよね。こういったばらつきは、低脂肪ダイエット、低カロリーダイエット、菜食主義などについても同じで、そもそも一貫していません」
地中海ダイエットと同様で、低炭水化物ダイエットについても(およびその他の様々な○○食についても)、それがいったい具体的に何を指すのかということには注意が必要だ。同じ、「○○食」でも、そこそこ健康そうだと期待できるものと、そうでもないものが混在しうるということは忘れずにおこう。
そのうえで、今村さん自身によるメタアナリシスの結論のように(※1)、炭水化物よりも良質な脂質の方がよいというのは、多くの研究で支持されている。こういったエビデンスは、ぼくたちの日々の食生活の指針にはできないのだろうか。前にも聞いたことだが、腑に落ちない人もいるかもしれないので、もう一度、繰り返し尋ねておこう。
https://doi.org/10.1371/journal.pmed.1002087
「やはりこれもサプリメントの話と似ていて、糖尿病患者は炭水化物の摂取について気をつけなくてはならないということを、健康な人にも外挿して考えている部分があります。実際は、健常者にとっていいかどうかははっきりとは言えません。私のメタアナリシスの解析でも糖尿病患者さんの研究で効果がみえても、糖尿病を患っていない人たちの研究では効果が怪しくなった結果が得られたので。これは、メインの結果として扱っていないのでちゃんと読まなければ分からないのですけど。健常者の研究って難しいんですよね。臨床研究はどうしても患者さんをターゲットにしがちです。彼らは病院に来る理由があるわけですから」
こういった「外挿」、つまりエビデンスが乏しい範囲への拡大解釈は、前にも触れたようなメカニズムを語るストーリーに補強されると、もっともらしさが増す。低炭水化物ダイエットについては、定番の説明がある。
いわく──
砂糖や炭水化物をとらなくても、肝臓の中で脂肪やアミノ酸から糖を作る糖新生というメカニズムが働く。さらにケトン体回路というものが回り始めて脂質からエネルギーを生産できるから、炭水化物はいらない。
などなど。
これらのメカニズムが本当にうまく働くものだったとしても、だからといって本当に健康によいかどうかやはり質の高いエビデンスがないと分からない。また、炭水化物を絶った食生活を続けるとどうなるのかも、今のところはっきりしたエビデンスはない。
とすると、目下のところで言えることというのはあるのだろうか。
「食べる量や体重の管理は別に考えるとして、この時点で私が言えるのは、通常いわれるような健康的な食を心がけること、その中で糖尿病の人や予備軍の人は低血糖・低栄養にはもちろん気をつけて炭水化物を控えめにというところでしょうか。健康な人は炭水化物について言えば、なるべく自然のものからとりましょうといえるくらいです。脂肪についてはスナック菓子や揚げ物ばかりだとか極端な食生活は問題ですが、特に意識して避ける必要はないでしょう。ただ個人の生活や好みのばらつきもありますし、どんなダイエットにも落とし穴はありますから、できれば栄養指導のプロと会話する機会を得て個々の生活習慣全体を見直していくのが好ましいです」
とのこと。
最後に日本食。
今村さんは、日本食、和食について、ずっと関心を抱いている。
「私は、博士論文で食事のパターンを研究して、その後、地中海ダイエットのエビデンスが蓄積していくのを見てきたので、和食らしさをどう捉えて研究すればいいだろうかといつも考えます。白米などの個別の食品や、栄養成分などを多層的に見ながらやっていくべきだと思っているんですが、今のところ日本のデータにかかわる機会がないという状況です」
今村さん自身の研究はなくとも、現時点での知見からはどんなことが言えるだろう。
「日本食っぽい食事をしてる人って、つまり、白米の摂取が高くて、魚の摂取があって、塩分もそれなりに高くて、野菜をたくさん食べてて、少しのお肉を食べて、つまり満遍なくという感じですよね。地中海食と同じで共通の定義はありませんが、それでも『和食らしさ』を独自に定めて研究した論文はいくつかあって、そういった食事をしている人たちは死亡率が低いか、あるいは平均と変わらないくらいです」
こういった研究のうちには、2005年に厚労省と農水省が提案した「食事バランスガイド」の検証とでもいうべきコホート研究も含まれていて、前回も触れた。和食のひとつの定義として通用しそうなこのガイドに近い食事をしている人の方が、死亡率が低かったというものだ(※2)(※3)。
「定義のばらつきなどは賛否あると思いますが、お米を問題にする人たちが言うほど日本食は悪くはなく、ちょっといいかもしれないくらいだと思います。お米と糖尿病との関係だけを個別にとりあげて危険だという考えもありますが、前にも言ったとおり、日本の食生活の中でお米を食べている人は死亡率が低いという結果があったり、広い視野でエビデンスをおさえていくべきですね」
日本食をめぐる最近の議論で、ぼくが関心を持ったのは「減塩」についてだ。一般論として、ぼくたちは「減塩」をすべきだとよく言われるし、減塩醤油や減塩味噌を使ったりして心がけている人も多いだろう。ところが、近年、「尿へのナトリウム(Na)排出量が少なすぎると総死亡率などのリスクが高い傾向にある」という結果が報告されていて(※4)、今村さんは気になっているという。ぼくも興味を掻き立てられたので、話題として付け加えておく。
まず、素人考えとしては、「Na排出量が少ない人たち」(おそらくは「Na摂取量が少ない人たち」でもある)は、そもそも健康のために減塩を心がけている人たちかもしれず、つまりは何らかの疾患を抱えているため摂取を控えているのであって、それゆえ死亡率が高く見える、いわゆる「因果の逆転」ではないだろうかと思った。ところが、健常者のみを追いかけた解析でも同じ傾向が出ているそうで、謎は深まる。Na排出量の測定の問題などもあるらしく(※5)専門家でないと解釈は難しいのだが、ここにはひょっとすると日本食にまつわる何か深いテーマが潜んでいるのかもしれない。もちろん、現時点で「じゃあ減塩なんてやめた方がいいのか」という話ではさらさらない。ぼくの関心の焦点として、こういう謎を、将来、疫学が解明していく過程はきっとスリリングに違いない、ということだ。その日を待ちつつ、ぼく自身は「ちょっと控えめ」路線を続けようとも思う。わりと濃いめの塩加減を好んでしまい、多少心がけてやっと平均くらいになるのではないかと感じているので。
いずれにしても、日本で培われた日本食について、日本由来の研究で強いエビデンスがもたらされるのを待ちたい。もちろん、今村さん自身による研究ならなおよい。それはおそらく、栄養成分、食品、食生活といった何層にもまたがった文化的構築物とサイエンスが交わるものになり、さらには、ぼくたち日本人の根っこを明らかにするような仕事になるかもしれないとすら予感する。
https://doi.org/10.1136/bmj.i1209
(※3)Oba S, Nagata C, Nakamura K, et al. Diet Based on the Japanese Food Guide Spinning Top and Subsequent Mortality among Men and Women in a General Japanese Population. J Am Diet Assoc. 2009;109(9):1540-1547.
https://doi.org/10.1016/j.jada.2009.06.367
(※4)Mente A, O'Donnell M, Rangarajan S, et al. Associations of urinary sodium excretion with cardiovascular events in individuals with and without hypertension: a pooled analysis of data from four studies. Lancet. 2016;388(10043):465-475.
https://doi.org/10.1016/S0140-6736(16)30467-6
(※5)He FJ, Campbell NRC, Ma Y, MacGregor GA, Cogswell ME, Cook NR. Errors in estimating usual sodium intake by the Kawasaki formula alter its relationship with mortality: implications for public health. Int J Epidemiol. 2018:(in press).
https://doi.org/10.1093/ije/dyy114
=文・写真 川端裕人
(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2018年10~11月に公開された記事を転載)
1979年、東京生まれ。英国ケンブリッジ大学医学部MRC疫学ユニット上級研究員。Ph.D(栄養疫学)。2002年、上智大理工学部を卒業後、米コロンビア大学修士課程(栄養学)、米タフツ大学博士課程(栄養疫学)、米ハーバード大学での博士研究員を経て、2013年より現職。学術誌「Journal of Nutrition」「Journal of Academy of Nutrition and Dietetics」編集委員を務め、「Annals of Internal Medicine(2010~17年)」「British Medical Journal(2015年)」のベストレビューワーに選出された。2016年にケンブリッジ大学学長賞を受賞。共著書に『MPH留学へのパスポート』(はる書房)がある。また、週刊医学界新聞に「栄養疫学者の視点から」を連載した(2017年4月~2018年9月)。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
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