日本人って、私って何? 「移民」を通して見えてくる国士舘大学 社会学 鈴木江理子(最終回)

2020/2/20

「研究室」に行ってみた。

ナショナルジオグラフィック日本版

国士舘大学教授で移民政策を専門とする鈴木江理子さん。
文筆家・川端裕人氏がナショナル ジオグラフィック日本版サイトで連載中の「『研究室』に行ってみた。」は、知の最先端をゆく人物を通して、世界の不思議や課題にふれる人気コラム。今回転載するシリーズのテーマは日本の「移民」。U22世代が新しい社会を築くためのヒントに満ちています。同じ時代、同じ社会を共に生きるという視点を通して、一人ひとりの人間の見え方が変わるかもしれません。

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今の日本が労働力不足であることは、ほとんどの人が合意する「事実」で、そのために「外国人材」を活用するというのが政府の方針だ。

しかし、そうやって「労働力」のみを求める政策は、生身の人間としてやってくる人たちにとって、しばしばあまりに過酷な環境を作り出す。「人身取引」「奴隷的状況」などとして国際社会から名指しの非難を受けるに足ることが起きてきた。

こんなことを続けたら、いずれ、日本に来て働きたいという人たちも少なくなるだろう。選択の余地がある人は別の国を目指し、やむにやまれず「日本しかなかった」というような人たちが送り込まれてくることになるだろう。それでもあえて来る人の中には「騙されて」身動きがとれないような形で来日する人が多かろうから、さらなる悲劇の温床にもなる。

鈴木江理子さんは研究のかたわら、外国人移住者の支援もしている。

ぼくたちの社会を維持するために、そんな酷いことが起きてよいはずがないので、改善すべきである。それについては、本当に議論の余地がないとぼくは思う。

ただ、「移民」にまつわるニュースはむしろ海外の方が多い。そして、それらの多くは別の意味で「ひどい」ものだ。アメリカのトランプ政権下で親と引き離された移民の子どもが収容所に入れられるなど、ちょっと信じられないようなことも起きている。こういったことをどう考えればよいのだろう。

「たしかに、アメリカひどいよね、ヨーロッパひどいよねって思っている人が多いかもしれません。でも、一方でアメリカやヨーロッパでは市民社会の力も同じようにあって、例えばトランプ大統領の移民排斥に対する反移民排斥の運動だって、何万と人が集まります。多分、日本ってその両方がまだ成熟していなくて、多くの場合、他人事になってしまっています。でも、本当に気をつけて周りを見ればいるんですよ。近所にいたり、知らなかったけどもクラスメイトにいたり……」

結局、目の前にいる人たちのことをいないことにしてきてしまったのが、日本の「移民問題」の特徴なのかもしれない。「いない」のだから、問題が起きても見えないし、政権も「移民政策ではない」と言い続けることができた。

でも、これからはそうはいくまい。今ですら人口の数パーセントはいる「移民」が可視化され、また、さらに増えていくとどうなるのだろうか。鈴木さんの観点では、日本は「すでに移民社会だ」ということになるけれど、それはもう避けられないものとして受け入れなければならないのだろうか。

このあたりになると、とたんに抵抗感をいだく人が増えるような気がする。

日本が日本ではなくなってしまう。日本が、ぼくたちの国ではなくなってしまう。そんな不安を感じる人もいるだろう。

「実は、2001年にネットで調査したことがあるんです。『日本人』に求められる条件って何ですかって。日本語なのか、血統なのか、日本で生まれたことなのか、日本文化なのか、日本で教育を受けたことなのか、どれが一番大事ですかと。それで、その時は圧倒的に『血統』が多かったんです。でも、最近、変わってきていると思います。私は、毎年学生たちに講義で同じ質問をするんですが、『血統』ではなく、『日本文化』や『日本語』という回答が増えてきました。時代とともに日本人像っていうのは異なってきていて、それは、社会の一つの変化なのかなと思います」

比較的最近まで、ぼくたちは「日本人」について、素朴に「血統」で決まると信じてきた。しかし、今は、その「日本人像」では対処しきれないほどの多様性を、すでに社会が持っていると多くの人が気づき始めたのだろうか。

考えてみれば、歴史的に言って、同じ場所に同じ血統の人たちが住み続けることはまずない。