カフリンクスひとつで「剣士の気分」

例えば1966年の産経新聞に三島は「おしゃれ一品」と題して、カフリンクスについてこんな文を寄せています。

「遠くから見ると、ミツバチのやうに見えるデザインですが、剣道のおめんをほつたもので、素材は金。これは剣をほつたワイシャツのピンホールとセットになってゐるのですが、これを身につけると、自分が剣士になつたやうな気持ちがします」

この剣道の面を彫刻した金のカフリンクスは、東京芸術大学の酒井公男教授の製作だとも記されています。

高見順、川端康成らと対談する三島由紀夫(1959年)=共同

ほぼ同時代の作家を見渡してみても、三島ほどカフリンクスへの偏愛を示した作家はいなかったのではないでしょうか。スーツを着るときにはたいてい白のドレスシャツを合わせていて、袖口にはカフリンクスがのぞいています。このカフリンクスの着用こそ、19世紀に生まれた一つの「決まり事」や「型」を象徴するものであります。

19世紀の英国紳士は、シャツに使う貝ボタンは本来、「下着用」だと考えていました。まさかジャケットの袖口から、シャツの袖を留める下着用のボタンを人目にさらすわけにいきません。そこで、貝ボタンの代わりとして、カフリンクスをシャツの袖口に留めるようになったのです。

三島はまさに、19世紀の英国紳士のスタイルを踏襲する形でカフリンクスにこだわりました。ただ、彼の場合、誤解してならないのは、単に外見上の「型」や見栄えだけに固執していたのではない、ということです。そこには常に、型に込められた精神性、型が着用者の精神に及ぼす影響への理解があったのです。

実際、カフリンクスについて、三島は単なる物ではなく、「心理に作用する」と書いています。そのカフリンクスをつけると「剣士」になったような気分になる、と。つまり、着用することによって、自分以外の何かに変身できると思い込めるような、ある種の気分の高揚を生じさせるもの。そういった効力を、三島は自らの装いに求めていたのです。まさに型と精神の一致の追求と言えましょう。

出石尚三
服飾評論家。1944年高松市生まれ。19歳の時に業界紙編集長と出会ったことをきっかけに服飾評論家の元で働き、ファッション記事を書き始める。23歳で独立。著書に「完本ブルー・ジーンズ」(新潮社)「ロレックスの秘密」(講談社)「男はなぜネクタイを結ぶのか」(新潮社)「フィリップ・マーロウのダンディズム」(集英社)などがある。

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