女優・宮本裕子さん 「プロ意識を」父の理解うれしく

1969年東京都出身。日大芸術学部在学中にデビュー。95年にミュージカル「ピーター・パン」4代目主人公に就任。演出家、故・蜷川幸雄氏作品の常連。シェークスピアの戯曲など舞台を中心にテレビ、映画で活躍。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の宮本裕子さんだ。

――どんな家庭で育ったのですか。

「両親と妹の4人家族で、父は大手自動車メーカーの営業責任者でした。販売成績で記録を出すようなやり手社員だったようです。でも、グイグイと押し切るタイプではなく、相手を裏切らない実直さで結果を出していたみたい。仕事を愛し、楽しんでいた人ですね。おっとり型の父とは反対に、母はしっかりもの。女性だけど、きっぷがいいところが魅力です。しかも、二人はいつもいっしょ。仲むつまじい夫婦なんです。私が父と仲良くしていると母は嫉妬するんです。口うるさいことは言わないで、娘たちに囲まれていることで幸せを感じているような人たちです。甘やかされて育ったのかなぁ」

――女優を意識し始めたのは高校時代だったとか。

「演劇部に入ったのは高校ですが、もともと演じることに興味がありました。母が、芸術、演劇などへの関心が高く、物心付くころに、ミュージカルや美術展、舞台に連れていってもらった影響もあります。小学生のときに見たマリー・アントワネット展などは鮮明に覚えています。もう一つ、母から『人に愛されるように生きなさい』と何度も言われました。人を幸せにする、感動を与えるという意味だったのでしょうね。女優になり一層重みを感じます」

――お父様は進路に反対だった。

「びっくりしてましたよ。付属の女子校で大学まで通わせるつもりだったのに、女優になりたいから日本大学芸術学部を受けるって急に言われたんですから。父が首を縦に振るまで、1カ月、演劇への思いをぶつけました。話し合いというよりは言い合いでした。後にも先にも父に反抗したのは、そのときだけ。最後は『(大学の)4年間時間を与えてあげて』との母のひとことに助けられました。駆け出しのころに役作りで体重維持に苦しんでいると、父から『プロ意識はあるのか?』と聞かれました。女優という職業を理解していてくれたと感じ、うれしかった」

――理想の家族とは。

「家族の形に正解も不正解もないと思います。最後まで味方でいてくれる人が家族ではないでしょうか。誰にも言えない悩みがあるとき、相談できるのは母でした。深夜の電話で叫んでしまっても、母は何時間でも話を聞いてくれました。うれしいとき、つらいときは父と妹も、ふと気づけば隣にいてくれます」

「人と人がいればぶつかり合うし、イライラすることもあります。大切なのは距離感。寄り添ったり、ひとりの時間を与えたり“ファミリー・ディスタンス”を家族なら無意識に取ることができると思います。離れて暮らすようになって感じるのは帰る場所があること。これほど素晴らしいことってないでしょう」


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