大学受験の「東大至上主義」が薄れている。東大合格者の出身校ランキングの半世紀を振り返ると、近年は成績優秀な生徒の志望先が東京大学から他大の医学部や海外にシフト。開成高校(東京・荒川)や筑波大学付属駒場高校(東京・世田谷)、灘高校(神戸市)など名門進学校が上位に並ぶ状況は昔と同じようにもみえるが、東大一直線がエリートコースとは言えなくなっている現実も浮かび上がる。ランキングの裏側を読み解く。
灘の上位層が狙うのは理3・京医
「灘は8割が理系志望というか、医系志望だ。私のころも1学年220人の生徒のうち82~83人が医者になったが、その傾向がどんどん強まっている」。大学通信常務取締役で灘OB(75年卒)でもある安田賢治さんはこう指摘する。東大合格者を輩出する灘だが、東大志向という以上に医学部志向だ。
大学通信がまとめた過去50年間の高校別の東大合格者の推移からもそのトレンドが見えてくる。1970年、灘の東大合格者数は全国トップの151人。この年は東京都が導入した学校群制度による都立高校の入学者が初めて卒業する年だった。それまで東大合格トップ校と言えば都立日比谷高校が有名だったが、そのころから都立高の凋落(ちょうらく)が始まった。
その後、灘の時代が続くが、82年以降、開成が2020年まで39年連続で首位を走る。灘は20年には79人となり、1970年のほぼ半数にまで減った。しかし、灘高生の実力が落ちたわけではない。東大入試で最も募集人員が少ない理科3類(医学部コース)には毎年20人前後が合格し、高校別では全国首位を維持している。
東大と並ぶ国立最難関の京都大学への合格者は49人で、うち医学部医学科は24人で実に半数を占める。東大理1に在籍する灘高出身の学生は「灘は成績順に理3、京医、阪医(大阪大学医学部医学科)を目指す。その下が関西の他の国公立大医学部や理1や理2で、成績は中位層でも東大には行ける」と打ち明ける。灘から国公立大学の医学部合格者数は100人前後にまで増えており、東大合格者を上回っている。
「空前の医学部ブームが続いているが、西日本の進学校の方がその傾向が強い」(安田さん)という。理由のひとつは京阪神圏には国公立大学の医学部が比較的に多いことにある。京大、阪大、神戸大、大阪市立大に加え、京都府立医科大学、奈良県立医科大学、さらに滋賀医科大学や和歌山県立医科大学と8校もある。首都圏1都3県の国公立では、東大、東京医科歯科大学、千葉大学、横浜市立大学の4校しかない。