親元を離れて下宿先から学校に通っている生徒も多い。教員たちで手分けをして下宿をまわり、20~30人の生徒たちを学校に集めた。倒壊した下宿では、下宿生たちによる大家さん救出作戦が行われていた。自宅を失った教員たちや下宿生たちはひとまず学校の中でその日一夜を過ごした。

柔道場は避難者の生活の場となった=灘中学校・高等学校提供

1月18日。朝、近隣のガスタンクでガス漏れが発生しており、爆発の恐れがあるとの知らせがあった。灘も避難対象区域に含まれていた。下宿生たちをいつまでも学校に置いておくわけにもいかない。高3生をリーダーにして、西宮北口まで中学生を連れて歩いてもらうことにした。そこから先は鉄道が動いていた。

生徒のなかに被害者がいないかという確認にも時間がかかった。学年ごとに情報を集めてもらい、結果を和田さんの自宅に報告する流れになった。和田さんの妻が、それを書き留めた。震災以来、自分が何も口にしていないことに和田さんが気づいたのは、2日目の午後だった。

大混乱のなかの中学入試、卒業式、大学受験

2日目の夜には体育館は遺体でいっぱいになってしまった。学校内にある井戸水は近隣のひとたちの給水所になった。卒業生の医者が、学校の中で臨時の診療所も開設した。ボランティアにやって来た生徒たちは、区役所から仮設トイレが届くまで、教員たちとともにトイレの汚物処理に明け暮れた。

「何もかもがめちゃくちゃで、どこから手を付けていいのかすらわからない状態でしたが、不思議なことに、学校の中にいらっしゃる避難者の方たちの間で自然に組織ができてくるんです。もともと自治会のリーダーのようなひとがいるのかもしれませんが、そういうひとを中心に、それぞれができることを始めるんです。絶望と混沌のなかにも少しずつ秩序をつくり出そうとする力が、人間にはあるのですね。頼もしく感じました」(和田さん)

被災1週間後には、グラウンドに自衛隊がやってきて、炊き出しが行われた。体育館の遺体がすべて引き取られていったのは1月末だった。

1月14日から15日にかけてセンター試験が行われた直後だった。16日は成人の日で休日だったが、高3生を集めて自己採点をさせておいたからまだよかった。高3の担任は、散乱する職員室の書類の中からなんとか用意しておいた「調査書」(大学出願時に提出する書類)を見つけ出し、生徒が居住する地域ごとに集合をかけ、そこで手渡した。

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未曽有の事態でこそ「精力善用」「自他共栄」
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